最近、石原東京都知事の動きが注目を集めている。外形標準課税を銀行に絞った新税が特に議論を引き起こした。喝采を叫ぶ人から、大向こう受けをねらったスタンドプレーと皮肉な評価をする人などさまざまだ。大方は、公的な資金を入れ、特別面倒見ているのに、ぬくぬくと高給を得て、しかも税金をろくに払わない銀行はけしからんという庶民感情が根底にあると思われる。日本は「嫉妬の経済」で成り立つといわれるが、まさにその通りだと思う。階級のないしかも均質層が大部分を占める社会は、小さな嫉妬があちこちにうごめく。それがダイナミズムを生み出す原動力でもあるのだが。隣の家がトヨタのクラウンにしたから、うちは日産のセドリックにしようか、などと消費も弾むのである。状況が近い人ほど競争心が湧き嫉妬が生じる。
石原慎太郎は小説「太陽の季節」で鮮烈なデビューをした。その映画にも出た弟裕次郎と共に、新しい感覚を時代に吹き込んだのである。以来氏は、国民へのメッセージを小説だけに拘らず広く機会を求めてきたように思う。彼には、時代や国民に影響を与えたという自負もあるだろうし、今も信奉されているという確信もあろう。ここが均質層の中で嫉妬や競争をうまく潜り抜け、バランス感覚(関係者だけの)だけが磨かれた指導者と異なるところだろうと思う。
慎太郎氏の頭の中は、国民の存在が大きい想像するのである。自分を支えている人が誰かということをよく知っている。
氏が対象とする国民が多様化していることと、行政が化け物のような組織とその調整の上に成り立っていることが、氏のこれからの真価を問うことになると思う。
彼の歯切れの良さは確かに国民の一種のカタルシスとなりつつある。しかし政界こそ嫉妬うごめく魑魅魍魎の世界とか。ここに再び太陽族の出現なるか?である。
自称元太陽族の私は、あっちもこっちも「しがらみ」だらけで、身動き取れない。
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