最近の日本の経済状況が好いのか悪いのかさっぱり分からない。
もちろん私の住む建設分野は言うまでもなく悪い。情報によると、この業界は最盛期の60%に縮小しているようだ。そして将来もこの規模が常態となるという。さらに、いま何とかやっているからこのまま生き残れるのでは、と思うのは早計で、この1,2年は厳しい淘汰の期間だそうだ。
経済予測はおよそ当たらないと最近言われる。識者によるとこれは、統計学を基礎とした計量経済学が主流で、平均値をもとに予測するからだという。数式に入れる変数が平均値や中間値を用いるのだ。活況のインターネット関連や、携帯電話やCDに象徴される若者の旺盛な消費と、停滞する既存大企業や、財布の紐がすっかり堅くなった中高年層の混在は平均値で概括するには確かに無理があるように思える。一つの解がすべてを代表するほど経済は単純ではなくなったということか。
一体マスコミは誰を対象に社論や論調を統一するのだろうか。圧倒的多数を占めるといわれる中流層や中間層に焦点を絞らざるを得ないと思うが、この層とて多様化している。米国のように、地域に根ざしたものか、主義主張あるいはジャンル別の媒体に分かれていくのが流れのような気がする。対立というより分裂の時代が来たのだ。
企業においても、社員の価値観や能力の違いによって勤務形態を変えようとする動きがある。今までのようにひと括りで社員のパターン化ができない時代になっている。
いうなれば平均値管理ができないということだ。従って目標も各自異なるものを設定しなければならない。こうした管理が容易なはずはなく、評価や指導に混乱をきたす時期が暫くは続くだろう。
元来、人間は複雑で中間化や平均化には馴染まないはずだ。高度成長期の効率追求という非人間的テーゼによってそれが正当化されてきた。とりあえず衣食住足りて、もはや高度成長はないと知ったとき人はばらつく?楽しみを見い出しているのかもしれない。自分らしく生きたいという名目のもとに。
最近、複雑系の理論研究が盛んになりつつあるという。あらゆる現象を単純な平均値で捉えないで、複雑なまま解釈しようという学問らしい、が、噛ったこともない私に講釈する資格はない。今の日本の経済状況が好いのか悪いのかこの学問ではどう解釈するのだろうか? もっとも好悪という単眼的な考え方そのものが意味のないことなのだろうが。好い悪いがはっきりした、素人に分かりやすい政治が、実は衆愚政治を招く一因と私は密かに考えている。ものごとの単純化は本質を見失う危険性も内包しているのだ。
我が家の経済は、妻の金銭感覚をもとにした現実主義で評価され異論の入る余地はない。複雑系の学問は要らず、妻の感ピュターがすべてだ。しかし夫婦の求める幸福は、夫の大幅な譲歩により、幸せにも平均化され中間を取っているのである。
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