私は現場代(理)人というものを一度だけやったことがある。
これはいうならば建設現場の所長のような総責任者のことであり、任務は重い。
30年も前のことだから25歳のころだ。当時勤めていたコンクリート管会社がはずみ(!)で工業用水の配管工事を受注してしまった。圧力がかかる管路で、地元の業者が面倒くさがり逃げてしまった難しい工事だ。当時の営業部長が、パイプだけ売っていればいいものを、欲を出して工事まで請け負ってしまった。
当時私のいた会社は、建材メーカーが下水道の普及に目をつけて設立した新興ヒューム管会社で、素人(!)ばかりだった。
全長で7キロメートル、国道横断、鉄道横断、河川横断、山越え谷超えの何でもありという土木工事だった。一次下請けの中堅ゼネコンは親会社の系列からすんなり決まり、孫も曽孫もその線で決まったが、元請けの代人がなかなか決まらない。みな尻込みしているのだ。工場で一番抜けても痛くない、という理由で私に決まったのが間違いの始めだった。
予想通り工事は失敗した。さんざん下請けに手を抜かれて、管路がザルでつくったように水が漏れるのだ。施主は民間の化学会社だったが、担当部長が私を連日罵倒した。敷設工事に3ヶ月、その手直しに6ヶ月費やした。工場の人間を投入し、パイプの中から怪しげな個所にモルタルを詰めた。パイプの径は40センチで、小柄なひとがやっと這いずりこめるくらいだ。通水試験をするたびに内部にヘドロが堆積する。脱獄映画さながらのシーンが半年続いた。もちろん私も率先してモグらざるを得なかった。
工場内の出口からようやく水が出たとき呆然としたまま、涙も出なかった。
その知らせを現場に配した仲間に告げるため、車を駆けていたときの胸の弾みをこの年になっても思い出す。
いまの私の小心さを考えると、そのころの若さと無鉄砲さが信じられない。得た知識や技術はその後たいした役には立たなかったが、酒を飲んだときの失敗自慢のひとつにはなっている。
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