うぬぼれのまったく無いひとはいない。人間は己れを愛するナルシストだから。
恋は愛されている証しを追求する哲学的行為(ときには動物的行為)であり、そのために「愛している」の言葉やサインを乱発する。大いなる誤解とともに。
私が勤めていた会社を辞めるとき、誰もがするように、最後の日、社内にいた上司や同僚の一人ひとりに別れのあいさつに回った。日ごろ美人のほまれ高かったO嬢には、とくに悲しげに「お元気で」と告げた。美しく気品があり、知性にもあふれた彼女が、涙いっぱいためて「あなたも.........」というではないか.......。行過ぎて振り返ったとき、目頭をおさえ、洗面所に駆けていく彼女が見えた。
そうか、もしかしたら、彼女は私を!とその方面はいつも謙虚な私も鼻の下がのびる。
その日の夜、同僚たちと最後のうたげにくりだす。適量入ったころ、O嬢の涙を見てしまったひとりが、それをさかなに持ち出した。「彼女はおまえが好きだったんだ!」とはやしたてる。否定はしててもしまらない顔だったろうその日の私は。
一月ほどして、その元同僚が彼女からの手紙をもって、私の新しい職場に顔を出した。恋の予感と愛妻に対する背信のおののきに心ふるえながら封をきる。
「前略、あなた様のまったくの誤解に、たいへん迷惑をしております。あの日涙が出ましたのは、コンタクトレンズの具合が悪く、目が痛くて耐えられなかったからです。くれぐれもお友達にその旨お伝えください。あなたがそんな軽いひとだとは知りませんでした。」
それから私は石橋をたたいて渡る謙虚!です。
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