たいていのサラリーマンは役員にはなりたいと思うのではないか。
社長は責任が重いばかりで、報酬も米国のように超高給というわけではないからあわないと、はなからおりる人もいる。会社役員という現世のステータスは欲しいが、厳しい責任や使命は勘弁してほしい、という真に小市民的思想に基づく。
いま、中高年の希望退職や解雇が云々され、この世代の悲哀が世間の共感を呼ぶ。
会社のお荷物とされた人々の怨嵯の声が、新聞に載らない日はない。
サクセスの道を歩んだ取締役にも遅れて退職の日はくる。なれなかった人より多少割増の報酬と歳月を得たあとに。
一部上場会社のQ社は、最近総合商社の看板を下ろし、大胆なリストラ策を発表したK社の傘下に入ってもう10年になる。その間着々とK社は自社出身の役員で Q社を固めてきた。そしてプロパーの役員は私の旧知のA常務だけとなった。
ある日、内規により、常務定年になるという彼から一夕の誘いを受けた。30年に亘る仕事付き合いで気心も知れている。営業畑だった彼は、会社生活を大満足で終えることを、引退後は町内会を活動の場とすることを熱っぽく語った。まことに堂々たる40年の会社生活であった。その晩は遅くまで飲みつづけた。
5日後彼から電話があった。驚いたことに彼が社長に内定したのだという。固辞したのだが、どうしてもということらしい。声もなかった。
数日後の新聞に、銀行からの巨額な債務を帳消ししてもらうK社は、関連会社への役員天下りを控えると同時に、子会社もプロパー優先に人事をすると記していた。
得心する。
いま彼は、総会を経て正式に社長となり、挨拶のため忙しく飛び回っているらしい。町内会は当分おあずけですね。
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