セルバイン105
サビ汚れのないコンクリート表面をつくる!
■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/01/06〜2000/01/10
2000年01月[ /06日 /07日 /10日 ]

2000年01月06日(木)

予想されたほどの混乱はなくY2K問題は過ぎようとしている。いろいろと小さな不都合はあちこちで出ているようだが、社会生活の根幹のかかわる大事には至っていない。結構なことだ。個人的には、インターネット証券のアクセスに関し、認証の期間切れのミスサインが出たが、なんとなく解決してしまった。Y2Kに関係なかったのかもしれない。こんな程度でこの騒ぎが終息するのか、あるいはうるう年クラッシュに持ち越されたのか、依然として気配は怪しげだ。この行方は神のみぞ知る、か?
年越しから新年5日まで、妻の父母と過ごした。日ごろ田舎に寂しく暮らす老父母を招いて我が家で初春を祝ったのだ。3日には、東京に住む妻の妹家族も大挙して押しかけ、久しぶりのにぎやかさであった。娘二人でよかったと素直に語る義父母は屈託がない。
妻の家系は大体が女性上位の家系である。家では男連中の元気がない。
しかし、もともと家庭での主導権は一般に主婦である。衣食住に関わる計画と実行は主婦の担当が普通だ。夫は仕事に関することや、社会常識を必要とする決定ごとを除けば、日ごろから家庭内のことは妻を立てるのを美徳としている。ひとえにこれは妻の生きがいを満たすためであり、妻の能力を評価している故ではないのだ。
今晩のおかずの決定にリーダーシップを発揮してもだれも誉めてくれないのである。したがって、夫は家庭では無口で、黙って新聞を読むか、テレビを見ているのである。家事ができないのではなくしないだけなのである。
一週間ほど、彼女らの主戦場である家庭で、手持ちぶさたの老父と私は、すっかりゴミ扱いとなってしまった。なにをしていても鬱陶しいらしい。なまけものが目障りということだ。
小さい家をあちこちしながら、彼女らの目を掠めつつテレビと読書に日がな一日、そして結局7日やり過ごした。自分を消すのも忍法ならぬ忍耐法。さすが老父、85歳の年輪が物を言う。図書館から借り置きしたすべての小説を二人で読み切った。
目をショボショボさせた老父と老母は、5日の昼の特急で、寒いだろう故郷に帰っていった。春から仕事につく下の娘の勤務地を気にしながら。
勤務地によっては娘は家を出る。そして私達も老父母と同じ二人ぐらし。「そうなったらお前たちも淋しいよ!」と言った老母の顔にもう正月のくつろぎはなかった。


2000年01月07日(金)

今年からスペイン語を始めることにした!
生来の飽きっぽさでいつまで続くかわからないが、とにかくやることにした。
昨年の仕事じまいに、全員で軽く一杯やったとき、滑らかになった口がさらにすべった。来年はスペイン語でも勉強してみようか、などと口走ってしまったのだ。
昨年、コンクリート技士の試験に合格した若い社員の嬉しい成功談のあと、誰ともなく、中国語を始めるとか、英会話に再度挑戦するとか、土木の国家試験を狙うとか、決意表明?が始まったのだ。事務の20代の女性まで、老後のために造園技師の資格に挑戦したいと突然言い出したのにはとりわけ驚いた。急に勉強家になったみんなに何が起こったのか思い当たることがないが、結構なことには違いない。最後に話を締めるとき、うかつにもその瞬間ちらっと自分の心によぎったことを、口に出してしまったのだ。ビールと酒のちゃんぽんで悪酔いしていたらしい。
この2、3ヶ月、スペインの会社とメールをやりとりしている。私の勤務する会社のホームページを見て、先方からアプローチしてきた。スペインの建材を輸入しないかという話だ。彼らの商品群をホームページで一覧したあと、すべて日本で調達できるものだからと断った。それからねちっこい?のだ。この商品は日本にないはずだ、と結構調べている。おかげですこし市場調査のまねごとをせざるを得なかった。その結果を伝えてやると、ますます当社が適任と見たか、巧妙に誘いをかける。
これらのやりとりはお互いのインチキ英語だ。米語を米国人にぶつけるとき、多少間違えていても、彼らの斟酌の度合いは大きいが、インチキ英語に対しスペイン人の理解に寛容はない。あいまいな英語(米語?)が通じないジレンマがある。
相手の英語も時々理解に苦しむときがあって、こういうことではないのかなどと確認のメールを打つときもしばしばだ。
いずれにしても、一度こちらに来いとうるさいので、行くことになるかも知れない、と感じている。スペインの田舎らしいので、簡単な会話ぐらいは必要か?と考えていたのが宴席の失言!に結びついたのである。
暮れにスペイン語入門書数冊と付属CDを買い込んで正月に備えた意気込みは良し。
正月明け、もうすでにホコリをかぶって机に眠るそれらを見る気持ちは暗し。
みんなになんと言おう?


2000年01月10日(月)

先日,妻が美智子妃の半生をまとめたテレビ番組を熱心に見ていた。ついつい私もつられて終いまで見てしまった。この種の番組は妻の年代の女性は好きだ。
番組中の、皇太子(現天皇)の米国女性家庭教師についての挿話はさわやかな感動があった。彼女は思春期の皇太子にさまざまな人間的影響を与えたようである。
侍従に依存しない自立心や、モノよりも人間に興味を持つよう示唆を与えたことなど興味深い。皇太子に、皇居と学習院の往き還り、国民の実際の生活の観察を義務付け、詳細に報告させたことなど驚きである。彼女は、皇太子が人間よりモノの方に興味がありそうなのが気になったという。
雲上人を国民に近づけるのに、このフィラデルフィア出身の未亡人クウェーカー教徒の一助があった。民間人である美智子妃との結婚や、手元で子供を育てられたことなど彼女の影響やアドバイスがあったようだ。
われわれの関心や興味の対象は人によってずいぶんと異なる。社会的動物である人間は、他者との関係維持のため最大努力を払うのが普通だ。そのための探求や工夫が人生の継続的課題となる。人に対する関心や興味はその原動力なのである。
温かく保護され、周りへの配慮にとりわけ気にする必要がないとき、人はその仕組みや背景への思いやりが希薄になる。上に立つものは、ぬくもりで眼鏡が曇らぬよう常に窓から顔を出しておくよう彼女はアドバイスしたのだろう。
私は、自身を神経質でデリケートな性格だと思っている。人間に興味と関心がありすぎるのだと分析している。そして他人の言動に過敏すぎると信じている。
これは、異母兄弟の存在や少年時代の父の病気による環境変化など、自分を取巻く仕組みが幾度か揺らいだからだと考えている。周りの大人達の目をうかがう小賢しい少年時代を過ごしたようで、思い出も苦いものが多い。
人間に関心なぞ持たず、草花や昆虫採集あるいは天体観測に熱中する人間になりたいとずっと思っていた。厚顔無恥、鉄面皮、傍若無人という言葉にあこがれを抱いていた。人から離れようと思えば思うほど対人関係を反省するジレンマに陥っていた。
皇太子に、人にもっと関心を、と言った家庭教師はバックボーンに宗教的理念があった。
人に関心がある私は、バックに確固な信念がない。
過敏神経を免疫療法で減感させるか、信念を宗教か鍛練で鋳込むしかないのか!
妻の声がどこからか聞こえる。「大丈夫よ、もうボケがはじまっているから!」


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