セルテック株式会社
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■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/12/21〜1999/12/29
1999年12月[ /21日 /22日 /23日 /24日 /27日 /28日 /29日 ]

1999年12月21日(火)

久しぶりに娘の友達の米国ギャルに電話をした。肝心の娘がいま米国に遊学中!なので、親がお相手をしている格好だ。若い娘は万国共通で、オヤジなんか相手にしないから、積極的に私に電話なんかよこさない。妻と下の娘が、クリスマスだから夕食に招待した方がいいよ、と言うのでダイヤルしたのだ。
カキなべをするから来ない?と言うと、喜んで行くという。誘いを待っていた感じもあった。少し遠慮があったのかもしれない。シアトル出身の彼女は海産物が好きだという。味噌味だよ、というと、ぜひトライしたいという。日本人以上に愛想のいい娘である。
下の娘と一緒に彼女と駅で待ち合わせた。クリスマス商戦のにぎやかな街中を少し歩く。故郷の米国の今の時期は、クリスマス一色だろうと語る彼女の心は、この地方都市の街中にはないようだった。29日から来年4日まで家に帰るようになったという。老衰した祖父を見舞うためとヨーロッパにいる恋人が年末に帰国するためだという。すこしホームシックにもなっている、と素直であった。
日本で英会話学校の教師をしながら、学生時代のローンを返している。二つの学部を卒業したようで、かなりの額になる。生活も苦しいようだ。数年後には大学院に行きたいとも言う。そうしたスタイルは米国で普通らしい。30歳を過ぎてから本格的に自分の行く道を決めるのだ。
今回の航空運賃は年末で高かったらしい。暇なシーズンの倍だそうだ。彼女の両親と祖父母が合わせて8割ほど負担してくれたという。やさしいクリスマスプレゼントですと彼女はすこし目を潤ませた風だった。
カキなべの味噌味はやはり違和感があったようだが、それでもなんとか食べられた。だめだったらステーキをと妻は用意していたようだが、不要だった。なべのおいしさより、温かさを味わったようであった。
彼女の誕生日に妻と下の娘があげたマフラーと手袋をして、彼女はなんども手をふりながら駅の人ごみの中にまぎれていった。そんな彼女の後ろすがたに私は、いま異郷の地にいる上の娘を見ていたのかも知れない。


1999年12月22日(水)

横山ノック大阪府知事もどうやら辞めることになった。事ここに至ってしまったら仕方ないことであろう。庶民の都大阪の顔としてノックさんは、東京の顔である文化人石原慎太郎氏と対照的で、それなりの広告塔でもあったのに少し残念だ。
我々は政治家に倫理を求めるなぞどだい無理であると知っている。それでも今回のスキャンダルは、痴漢行為という犯罪の問題になってしまったのだから見過ごすことはできなかっただろう。
クリントン米国大統領のセックススキャンダルもつい最近のことだった。日本でも、古くは宇野元総理の愛人問題や最近の菅直人元民主党委員長の24時間同室事件があった。英雄色を好むのたとえ通り、古来から権力者の周りは華やかだ。
色を好むのは庶民も同じことだ。人間と生まれたからにはそちらのほうの欲望が少ないわけではない。生物の本能は貧富、賢鈍にかかわらず公平なのだ。だから巷に不倫があふれ、痴漢が横行し、援助交際がなくならないのである。こうした恥多き我々が政治家を裁けるのかという良心派?も少なからずいるようだ。性は秘め事であり、明るみに出してしまうことを「野暮」と嫌った時代が日本にあった。それが政治家や政府高官の愛妾や愛人を容認する封建性だ、と近代という時代が断罪してきたのである。赤線の廃止もその線上であったろう。
英雄は色を好むのではなく、性を放縦に扱える権力を手にしたと解すべきである。
酒池肉林を可能にする財力と強制力を持っているということである。先日の朝日新聞の天声人語で、ノック知事が選挙手伝いの女子学生に権力をちらつかせて!いたずらをしたらしいと解説していた。逆らえなかったということらしい。いまどきの学生を考えるとちょっと信じられない気もするが、事実ならばそれも彼のもつ、知事に付帯する権力には違いない。
選ばれた者は自制が必要である、との前提で我々は「現代の選良」を選ぶ。彼らはそれに応えるため、少なくとも本能や欲望を押さえきる自制心が必須なのである。自制できない選良がなぜ選良であるのか!だから権力者ほど色事は押さえなければならないのである。ノック知事の慢心がその抑制のタガを外したにちがいない。権力者は禁欲者の代名詞なのである。
私の場合、とくに自制を要求される社会的立場でもないが、巨大権力者である妻の拘束のもと、その生物学的能力が低下し、スキャンダルも起こり得ないほど枯れてしまった強制禁欲者!である。


1999年12月23日(木)

私の勤務する会社でアルバイトの女の子が正式に社員となった。
当初からそのつもりではあったが、お互いに検討期間を置こうということで、暫時アルバイトとしていたのだ。平たく言えば試用期間ということである。
彼女は女子美術系大学の出身で工業デザイナーでもある。会社が景観材料の販売や施工に手を染めているので、こうしたデザイナーのバックアップが必要である。
彼女の出身大学から過去4人ほど採用したが、そのうち二人は大学の助手として戻ってしまった。せっかく一人前になったのに、それを待っていたかのように取り上げる大学の横暴さに腹も立ったが、素直に喜んでいる彼女たちを見ると何も言えず笑顔で送り返した。大学は当社を現場経験研修の場と勘違いしているらしい。そのくせ研修経費は払ってはくれない。
美術系大学出身の女性はたいてい、話に要領を得ない。これは芸術とは自己表現であり、いかに自分の内面にあるものを表現するか工夫することであって、他人の内面にあるものをいかに読み取るかについては軽視しているからである、と私は信じている。そして人に分かってもらう努力が足りないのである。これは著名な芸術家連が好んで使う難解なレトリックから容易に推察できることである。腕の真贋はともかく、将来の芸術家もレトリックだけは大家なのだ。
こうした孤高の道を行くアーティストと、大衆の同調と賛意を必須とするデザイナーとの一線は、彼女らにとって誇りと屈辱の境目のようである。
新しく社員となった娘に、私はまず、アーティストであることを捨てるよう要求するのである。そして自己表現の一番簡単なやり方、言葉での説明すなわち話す技術について講釈をたれるのだ。
何かまとめて話すときは、最初に「..........には3つの理由(要因、考え方、問題点,なんでもいい)があります。」と必ず3つ(常に)を暗示しておけ、そして中身は後から考ええばいい、そうすると不思議にうまく内容が分類される、と実戦論を教えるのだ。さらに内容のアイテマイズ(箇条化)、スケルトン(骨組み)の初期呈示、演繹的と帰納的話し方などなど偉ぶって講釈をするのである。
もちろん私が自由自在にできるわけがない。理屈だけである。私がこれらをマスターしていたら、こんなところにくすぶっているはずがない。
かくして私の受け持ちの新入社員教育が2時間で終わる。教育者は偽善者であるとは言わないが、口舌の徒であることは間違いない。


1999年12月24日(金)

毎年この忘年会だけは楽しみにしている。
今年も例年通り、いつもの店に集まった。もう9年続く。
年下の友人が会社を辞めて独立するかしないか迷っていた時、相談にきた彼に、私はうかつにも苦難の道を奨めてしまった。根が慎重な彼は、私の楽天ぶりにいぶかりつつも、会社での人的葛藤に飽いていたらしく、結局、安定の道を捨てたのである。
あとから聞くと、彼は同時に、会社の顧問をしていた弁理士の先生に相談したらしい。ところがこれまた楽天家の先生が、あっさりと独立を奨めたようだ。かくして二人の確証?を得た彼は勇躍、零細企業のオーナーとなったのである。
狡猾?な彼は、言質を我々二人のその零細企業への出資と転化させたのである。当初はその分担も3人対等であったが、その後の増資により、彼は紛れもなくオーナーへと地歩を固めた。微笑ましい小知恵である。
二年ぐらいで会社が黒字化し、以後、年一回の株主総会らしき報告の場を、忘年会に合体させた。弁理士の先生もいつのまにか二人となり、こちらも一人増え、彼を含めて計5人が常連のメンバーとなった。直接の仕事のつながりもなく、年1回の出会いで気楽な集まりだ。
行き付けの店は、創作日本料理がなかなかで、毎回違う物を食べさせてくれる。これも集まりの大きな楽しみだ。彼はたまに接待で使うらしいが、私と先生方は年一度の楽しみを失うような勿体ないことはしない。年の瀬が来て、この店に来て、一年ぶりの人との談論風発の中で味わう極楽を知っている。
彼の会社も売り上げが落ちて赤字が出そうだという。今年は配当は勘弁してださいと言う。もとより先生も私もわずかな配当など当てにしていないから、あっさりしたものだ。彼はもう先生の出資分は配当で返しているし、私に対しては、株の持ち合いに変換させた。いずれにしても両者とも、元はとって入る勘定だ。
米国でのビジネス方法の特許問題や、菅直人(彼も弁理士の資格を持つ)氏の女性スキャンダルまで硬軟取り混ぜた話題で盛り上がった。3時間ほどの楽しい会であった。
また来年ここでと、少し飲みすぎた5人は足元がふらつきつつも誓い合ったのである。


1999年12月27日(月)

中高年の自殺が相変わらず多いという。リストラにより解雇されたり、職場に席は残されたものの満足に仕事を与えられなかったり、と同情を禁じえない例がある。それらがいまはやりのうつ病の引き金にもなっているのだ。
先日、若いころ職場を一緒にしていた友人から突然電話があった。彼は、やや考え方に柔軟性が欠けるものの、専門教育をみっちり受けた腕のある技術者である。
医者からうつ病との診断を受けたという。会社から数日前に解雇の宣告をされたらしい。どうも半年前ぐらいから、会社は休み勝ちであったようだ。身体があちこち痛かったらしい。なんとなくだるくもあったようだ。
奥さんと、今年大学3年生になったばかりの娘さんに泣かれて弱った、と落ち込んだ声であった。
以前、私の勤務する会社で、ある社員がうつ病にかかった。キックボクシングをすることが趣味であった彼から想像できないことだったが、日ごろの少し横柄な言動や過激なスポーツが、彼の内面のナイーブさの裏返しだったと解釈できないことではない。薬を常用することになったようだ。以後、仕事ぶりは変わらず、取り立てて問題はなかった。
結局、彼は、当社にくる前に勤務していた会社に戻ることになった。その会社が中国地方に新しい営業所を開設するに際し、彼の腕を見込んで再リクルートしたのだ。彼はすでに了解していた。知人の先方の社長から挨拶があったとき、不服な顔はして見せたが、正直なところほっとした気持ちであった。組織のヒエラルキーになじめない者や、何かしらの理由があって屈折した心情を持つひねくれ者が集まった当社にあって、うつ病など取るに足らない病である。が、それが持つ死へのいざないがいつ何時生まれるかも知れないという不安は常のあった。個人のプライバシーと会社の社員管理限界は微妙なのである。
大企業は、優秀で健康な社員にとって居やすいところであるが、一面、落ちこぼれは住みにくいところでもある。落ちこぼれ!で成り立っている零細企業は、管理に精密さは必要ないが、心の琴線にふれるケアは重要なのである。その工夫と負担は経営者が自前でもたねばならない。だから中小企業経営者は精神をすり減らすのである。先天的楽天!と妻に一刀両断される私も、この例には漏れないのだ。眠れない日も年に数度はあるのである。そしてまたひとつ難題が増えた。
職を失った友の仕事をさがさなければ!


1999年12月28日(火)

隣のご主人が北海道のお土産をもってあいさつにきた。彼は私の出た高校の一回り後輩で、偶然ここに同じころ越してきたのである。奇遇に喜びつつも、近づきすぎて煩わしさがあってはと思い、適当な距離を置いてきた。いい感じの付き合いができていると自負している。
大手ゼネコンの建築技術者である彼は、北海道に単身赴任をして4年になる。律儀な彼は自宅に戻るたびにお土産をもってくるのだ。今年6年生の男の子が一人いて、子煩悩な彼にとって、かわいい盛りをいっしょに遊べない単身生活は、灰色の札チョン族だろうと同情している。妻は、どうして家族で赴任しないのだろうと不思議がっている。ピアノ教師である奥さんの都合といっても、生徒は2,3人しかいないのに、とご主人に同情しきりなのである。きっとまじめで几帳面な彼から離れて、自由を楽しみたいのよ、といささか独断的な解釈だ。
こちらにいた時も彼は、朝、私が新聞を取りに出るとき家を出、夜テレビの洋画劇場が終わるころ会社から帰ってきた。深夜、風呂に入り、朝は奥さんの目がさめぬうち一人食事をし、出かけるという生活だった。
土日の休みは、早くから家の周りを掃除し、驚くことに、時には洗濯もし、そして子供と遊んだり出かけたりのまさに信じられない!良き家庭人であった。
右隣の元自衛隊幹部だったという老人は、脳梗塞の奥さんを抱え、これまた家事と介護に八面六臂の活躍だ。勤勉すぎる両人の間の私は実に居心地が悪いのである。家庭は休息の場、とひたすら安静に専念する私は、思想の違いを主張するも、妻の「要するに怠惰なだけよ!」の言葉に沈黙せざるを得ない。
実は彼の留守の間、同じ思想を信奉する奥さんの存在が、妻の私の怠惰への批判を軽減する役割をはたしている。私のとって家は、ひたすら何もしないのがいいのである。謹厳実直、滅私奉公のアナクロが、私の向こう三軒両隣にまだ残っている現実はつらい。
「こんど本社に転勤になって、また家から通えます!」と嬉しそうに彼は報告した。素直に喜んであげたあと、遠くから庭の落ち葉を拾う彼の後ろ姿を見て、また肩身が狭い生活が始まるのかと覚悟を決めたのである。怠け者が住みにくい世の中になった!


1999年12月29日(水)

早いものでこれが今年最後のデイリーインプレッションになる。ほぼ半年ほど、土日を除いて毎日駄文を書きつづけた。これは私の継続が評価されるより、読者の皆さんの忍耐と余裕に感謝すべきものであろう。中身の薄い、個人ごとに関わる戯言など本来なら私の日記帳に殴り書きされ、机の引出しから外に出ることはなかった。主宰するホームページ業界フォーラムが、日々新たであることの証のため不本意ながら仕掛けられたものである。さらに業界外の人々へのメールマガジンの配信など、いまも恥ずかしさと戸惑いが残るのである。
ほんの時折いただく共感や感想のメールが、コンピューターのモニターの向こうに、私の拙いコラムの読者が確かに存在することを教えてくれ、身が引き締まったものである。
いずれにしても、1年は続けると相棒の手島氏(ウィンタースキン)に誓った以上、男をさげる?ことはできない。したがって皆さんにはさらなる忍耐と寛容の6ヶ月を厚かましくもお願いする予定であります。

さて、2000年を迎えるに当たり、不肖私は下記の誓約をいたします。

読者の皆さんへ:人生の深い示唆に富んだ、明日の希望の灯火となるような珠玉のデイリーインプレッションを連日お送りします。

会社の諸君へ:自主性を重んじ、労働分配率を極限にまで高め(要するに給料を上げるということ)、労働時間の短縮と労働密度の低減を懸命に図ります。

娘たちへ:細かい干渉をせず、帰宅が何時になろうと文句は言いません。お小遣い要求に拒否権なしの満額回答とします。

妻へ:積極的に家事を負担し、たまには肩をお揉みします。酒も飲まず、腹が立っても声を荒げることもなく、従順と忍耐の夫になります。

PS:
神へ:また守れもしない誓い公言したことをお許しください。明年こそ嘘をつかないことを心から誓います。だから2000年はこのまま行かしてください!

では良いお年を!


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