株式会社浅見製作所
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■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/01/11〜2000/01/20
2000年01月[ /11日 /12日 /13日 /14日 /17日 /18日 /19日 /20日 ]

2000年01月11日(火)

寝がけにナイトキャップを飲らないと眠れないというひとがいる。
また、小難しい哲学書が睡眠へのいい小道具だというひともいる。寝つきのよしあしは個人差があり、ひとそれぞれなりに工夫をしているようだ。
わが妻は、寝つきのいい私を評して、悩みがないからと単純明快だが、その私も、ときどきなかなか眠りに入っていけないこともあるし、明け方近くに目が覚め、起床までの長い時間を持て余すこともある。
実は、私には睡眠に入るための秘密兵器がある。この10年ほど愛用しているものだ。それはラジオであって、寝床に入ってスウィッチをオンにする。FEN(米軍の極東放送)だ。ウィークデーは9時以降はニュースとか解説とか、やたら早い米語をしゃべっているのだ。
当初、英語の勉強という目的はあったのだが、眠くなった脳は機関銃のように早い米語についてはいけない。一所懸命に聞こうと思えば眠気が覚めてしまうことになる。そこで聞き流すことにしたら、これがまたいい睡眠薬になるのだ。
スウィッチを切るタイミングが難しい。うっかり切り忘れ、夜中にザーザーの雑音で起こされる失敗もたまにあるが、微妙なタイミングはもうマスターできていて、神業に近いと自負している。睡眠学習という都合のいい勉強法もあるようで、眠っているうち聞いている内容が記憶されるのだそうだ。ある日、目が覚めたら流暢な英語をしゃべっている、というような奇跡が起きたらと考えないでもないが、10年間実行していて、何も効果がないということは、この学説は明らかに間違いであろう。私にとってFENは睡眠誘導以外なんの効能もないのである。
レシーバーを挿入する耳を時々入れ換えるが、どうも右の耳の方が頻度が高いようで、こちらの聴覚の低下が、耳鼻咽喉科で指摘された。
妻は眠れないからと言って、寝がけに必ず小説を読む。明るいからそれに背を向けると、右耳でラジオを聞く形になってしまうのだ。布団の位置を左右換えればいいのだ考え、妻に言うと、位置が換わると、自分が眠れなくなると納得しない。
それ以来、妻が寝入ったあと、私は、そっと自分の布団に入り、後れて英語世界から眠りに至る習慣となっている。心優しき夫は眠るときまで妻を立てるのである。


2000年01月12日(水)

久しぶりに近所の英会話教室に出席した。
この教室には3年ほど在籍をしている。言い換えれば月謝だけは払いつづけているのである。スポーツジムの会費と並んで私の無駄出費のひとつ、と妻に烙印を押されているものであるが、なかなか辞められない。米国人の先生と親しくなりすぎて、さよならを言うと、友情にヒビがはいると恐れるからだ。妻の功利主義と私の義理人情が常に衝突する案件?でもあるのだ。まじめに勉強しなければ参加の意義がないし、そんなものに毎月出費しているのは費用対効果の点で愚か以外なにものでもない、という妻の正論に対し、自分の小遣いの用途まで干渉される筋合いはない、といささか論点をはずした強弁に終始する私なのである。
その日は10人ほどの集まりであったが、元気な主婦が目立った。多弁で自己顕示的なのは、英会話でも彼女らだ。しゃべらなければ損と言わんばかりに自分のことを話す。彼女らは十分月謝のもとは取れていよう。
雄弁女史の一人の、正月に田舎のクラス会に出た、という報告から、話題がそれになった。米国では、小中校のクラス会など聞いたことがない、と教師が言う。
彼は私と同年代の銀行員あがりのミドルクラスのアメリカンだ。大学もマスターを含めて3つ出ている。マーケティングでは大学の教鞭をとったこともあるという。どうして彼が日本にいるのか不思議なのだが、なぜかセミプロのオペラ歌手である娘と私の街の近くに暮らしている。
米国は人の移動がはげしい。収入や職業のステイタスに合わせて住居を頻繁に換えることが、幼いころ一緒に学んだことへの郷愁を薄めてしまうのだ、と彼は説明する。また正月やお盆などに、一斉に父母の住む故郷に帰る習慣などがないため、昔のクラスメートが一同に会するにはかなりのエネルギーがいるとも言った。
話の途中彼は私に、そうした同級会に出たことがあるかと尋ねた。「ネバー」と答えざるを得なかった。小学校は途中転校のためなじみの友も少なく、中学校は何かと問題の多かった暴力教師のクラスで、まとまりが悪く、高校は自身がはずれ者の今で言うツッパリで、とにかくそうした集まりには出た事がない。「ホワイ?」と言われ、くわしく説明する英語力も不足で、「アイドントライクイット」と答えるしかなかった。
「おまえはアメリカ人のようだな」と誤解した彼には、また一杯やりながら、自分の恥を話さねばなるまい。


2000年01月13日(木)

正月を年老いた義父母と1週間共に暮らして気がついたことがある。
それは独特な故郷の方言や言い回しが少なくなったことである。86歳の父や77歳の母がいまさら東京語を話そうと努力するはずもないから、おそらく日ごろの話し言葉が変わってきているのではないかと想像する。
静岡、山梨でも同様と聞くが、わが故郷信州でも、語尾につく「......ずら」がお国ことばの代表だ。妻も故郷を同じくするため、夫婦間での言語の違いによるギャップはないが、結婚当初、この「ずら」弁がふたりの間から抜けず苦労した。
正月の間、老父母はほぼ東京言葉であった。寡黙な父は、常日ごろの好きなテレビや読書で、脳の内より言語改革が進行し、饒舌な母は、妻や妻の妹との頻繁な電話のやり取りのなかで会話がブラッシュアップされたに相違ない、と私は推察するのである。最近の垢抜けてきた地方の人より、お国ことば丸出しの素朴人への郷愁は、東京人になってしまった私の勝手なノスタルジーだろう。
いつかの新聞で、正調日本語?の「が」を若い人が発音できないといっていた。
鼻濁音が出ないのだ。たとえば音楽を「おんガく」というのだ。「ガ」は「girl 」の「が」だ。この理由にいろいろ説があるようだが、やもとことばの優雅さがなくなるようで、これも淋しいことだ。
下の娘に正しい!「が」を発音させようと試みたが徒労であった。妻とふたりでアヒルのように「がー、ガー」と見本を示しても、その違いが分からない。終いには「どちらでもいいじゃん!」と娘は怒ってしまった。
どちらでもよくはない!なぜなら、うちの姓は「おがわ」だから。柔らかい響きの「おがわ」だからだ。とたしなめようと思ったが、気の弱い父は言葉を飲み込んだのである。娘に英語の鼻濁音をしっかり勉強させようか!


2000年01月14日(金)

人間の遺伝子の解明が進んでいるそうだ。
あと1,2年のうち、すべて解明され、病気の治療や予防に有効に使われるだろうとの話である。日米欧はこの先陣争いにしのぎをけずっているという。この情報の私物化、特許による独占、企業倫理への不安など重要な問題が提起されている。国による関わりがそれぞれ異なることは特に不安要素である。
私のような素人は、この遺伝子の解明ということを、人間の才能や性格や病因はすべて遺伝によるもので、それが事前に分かってしまうことだ、と考える。その人の一生を左右するほとんどの要素が事前に把握され、あとは運、不運のわずかな未知の部分しか残されていないのでは思ってしまうのだ。
もちろん生まれ育ちの環境の違いによって、人それぞれ形造られるものは異なるではあろうが。胃がんのリスクのある人が注意すれば避けることも可能であるといわれているように。
過去の日本は、「結果平等」の均質社会を形成してきた。優秀な人と普通の人との社会的格差が少ない国だ。しかし、これからは自己責任を旗印に、「機会平等」型に変わろうとしている。誰でもチャンスはあるが、成果はその人の才能や努力に見合うものになりますよ、という社会だ。
みな一線に並んで、等しくチャンスがあるならば、能力あるものが先頭に立つのは自明だ。能力は体力や精神力や知力など、これら遺伝子が大きく支配するものではないのか?生まれたときからエリートがいるのである。そしてそれがわかってしまうのである。
自分の二人の娘を考えてみる。それぞれ27年と25年の人生から、ほぼ一生を左右する人間要素は明らかになっている。生来の遺伝子に、今までの環境要因が影響を与え、すべてが形造られている。私と妻の遺伝子がそれぞれ脈絡なく配付されていることが言動から推察され、時々娘たちに同情の念を持つのである。
あまり良い遺伝子を提供できなかった親としては、よき友人や学校や職場で適度に磨かれ、良質な後天的要素の開発に励んでもらうしかない。さらに抱えたであろう病因については、食生活に注意し、適度な運動を励行してもらうしかないのである。
子が親を恨む時代が到来したのかも!


2000年01月17日(月)

正月にもらう年賀状は、一年間忘れていた友の記憶を呼び覚ましてくれる。
それは、ピッタリ一年ごと、脳内に焼き付いたむかしのイメージをくり返しよみがえらせる。
いまの彼らはあの日の若々しい面影から、大きく変わってしまっているだろうに。
学校卒業以来一度も会っていない年賀状だけのやりとりの友もいる。あれからの長い年月を経て変わったであろう私に、数年間机を並べただけの関係に何時までこだわっているのか、と醒めた声が聞こえ、これで最後にしようと思いつつ今年も彼らに年賀状を出した。
虚礼廃止の合理的思考?により、自分の勤務する会社の仲間や付き合い先に個人的な年賀状を廃して久しいが、毎年欠かさずくれる同級生にはどうも止められない。
それでも最近は私の出す年賀状は少なくなった。無論のこと、それに対応してもらうものも少なくなっている。私が年賀状を減らしたのは、ただ面倒くさいのが理由であり、特段深い思想にもとづくわけではない。それと、妻に住所を書かせ、ときには「ひとこと」まで口述筆記させるとなると、私の良心が痛んだのである。自分でもときどき判読不明な奇怪な象形文字を先方に読ませるのは非礼であると、妻に書かせていたのである。
最近は年賀状ソフトの定型をそのまま芸もなく用い、妻に住所を書かせ、「ひとこと」も入れず、ただポストに入れるだけだ。実に気持ちのこもらぬつまらない賀状に堕した。こんなものもらっても感謝はされまい。死亡通知ならぬ生存通知のようなものだ。
そして今年も思うのである。来年用はもう出すまい、と。そういうわけであるから、年賀状をもらうことにも拘らない、はずである。ところがやはりもらうと嬉しいからあきれる。ときには、あいつから来ないがどうしたのだろう?などとこちらが出さない相手を非難がましく思うことなどあって、我ながら自己嫌悪に陥るのだ。ひねくれものはすべてにひねくれないと自分を正当化できないはずだから、こんなまともな人間感情はもってはいけない。
いずれにしても、自分風の付き合いを押し通そうとするならば、孤独をまず覚悟しなければならないはずだ。そして年賀状は浮世の付き合いの基本第一歩であるのだ。
私のもらった年賀状よりだいぶ多かった娘は、結構世故に長けて、友との付き合いをうまくやっているではないか、と社交性のない父は真に感心したのである。


2000年01月18日(火)

来年度(来春)の就職活動がもう始まっているのだそうだ。まだ今年の学生が働き出してもいないのにである。現在の模様見の経済状況では、企業側も学生側もいずれも大変だろうと同情してしまう。今春卒業する下の娘が、幸運の女神のありがたいおこぼれに与り、どうにか落ち着く先を得ることができたので、親の私としては落ち着いて現下の苦境を眺めることができる。高い代償を払って、たいした成果も得られないと嘆くのは、子どもではなく親の方なのである。
あと一年で勇退を迎えるT氏は、東京近郊のある大きな市の部長さんである。彼との交遊は33年に及ぶ。由緒正しい氏族の出自という氏は、まさに武家の出らしく質実剛健、質素倹約、直情径行!の人である。まあ簡単に言えば、頑固で協調性がなく、ユーモアを解さない人ということだ。仕事振りは手堅く杓子定規で情味がない、とは知り合いの出入り業者の評である。
実は彼は、私が社会人となったときの初めての上司なのだ。入社後配属された職場に、先輩として時代錯誤の権化!のような彼がいた。出会ったその日から彼との確執が始まったのである。論理よりも情理を、脳力よりも体力を、私よりも公を重視する彼の深層心理の複雑さ(単純さかも!)に当時は振り回されたのである。
5年後、民間の会社に在っては彼の性格では大成せずと判断したのか、コネもあって彼は現在の市役所へ転職をした。私も同時にさそわれ、助役との面接までセットされたが、なんとなく気が進まず、そのまま企業に残った。
その後彼は、上司が汚職でことごとく役所を去った幸運?にも恵まれ、現在のポジションまで昇進したのである。贈答品はすべて送り返す潔癖さと頑固さが職場で煙たがられたようであるが、それが認められもしたのである。かかるサムライは時代錯誤の感もあるが、潔くてさわやかな一面もあるのである。
時により薄くもあり、濃くもあった長い交遊は、互いの信頼と友情を固めつつあるように昨今は感じている。
縁あって、私は彼の息子二人の就職に関わった。裏口を入れない彼にとって、この種の親の援助は不本意であったろう。サムライ精神も時代に合わせなければならないのだ。
いただく盆暮れの贈物と、年に1,2度の宴席招待に彼の卑屈を見るようで、再三再四お断りしているが、「親の悦びを奪わなくても!」とのよく分からない理由に抗しきれない。いずれにしても親は子に弱いものだ。


2000年01月19日(水)

今年もらった年賀状の中にやはりN氏のものがあった。
すでに33年間続いている。私の方はこの数年ご無沙汰しているので、忘れてもらってもいいのであるが。
学生時代私は、彼の所有するアパートに暮らしていた。大学2年生からだから、まる 3年住んでいたことになる。二階が別入り口になっていて全室賃貸で、一階はN氏の家族の住居と仕事場だ。彼の仕事は帽子のクリーニングという一風変わったものであった。帽子だけの仕事でよく食べていけるものだと思っていたが、アパートの収入もあったことだから、今考えると十分余裕のある暮らしだったのだろう。
彼の奥さんが、長野県の北部地方の出身ということもあって、彼は同郷の私に対し親近感を持ったのか、温かく接してくれた。好奇心旺盛な私に、帽子の洗い方や、アイロンかけなど手ほどきしてくれたこともあった。
大柄で色白美人の奥さんとの仲はむつまじく、二人の間にかわいい盛りの女の子が二人いて、よく遊び相手にもなってやったものだ。
奥さんが、毎日顔を合わせていると鬱陶しくて、と言い出したとかで、N氏がそれまでの帽子クリーニングを突然止めて、勤めに出だしたのには驚いた。小僧のころから修業した仕事をやめたのだ。これにまつわる真の事情は今もわからない。
彼にとりわけ学歴もあるわけではないのだから、倉庫の番人のような仕事で我慢するしかなかった。が、それでも彼は見た目には楽しく仕事をしている風だった。
昼のうち旦那から開放された奥さんは、よくアパートのあちこちの部屋を訪れるようになった。特に用事がなくてただおしゃべりのためが多かったが。
そのうち電気工事会社に勤めていた若い男といい仲になってしまったのだ。よくある不倫話だ。鈍感な私は奥さんに告白されるまでまったく気づかずにいた。
そして旦那の知るところとなり、お決まりの修羅場があり、若い男はひとりアパートを出て九州に去った。N氏の寛容は海より深く、不貞の妻は真底図太い。
その悪妻が、同郷のよしみでと私に涙ながらに依頼したのは、不倫相手の若い男がラブレターを私あての封筒の中に忍び込ませて送ってくるから...........という不貞の手伝いであった。心苦しくも、義を見てせざるは?、のたとえに従い一肌をぬぐ仕儀となった。もちろん彼に対し後ろめたさはあった。
結局、N氏夫婦は離婚した。そして奥さんと若い男も別れてしまった。犠牲になった二人の子供は母親についていき、残ったN氏は離婚後すぐ再婚した。
N氏から年賀状をもらうたび、心苦しく思うのだ。不倫便りの私設郵便局をやっていたことを。
もしかしたら知っていたのではと思わぬでもないのだ!


2000年01月20日(木)

政治家には二つの系譜があるそうだ。
世界の情勢をにらみつつ外交や軍備や憲法問題を重要視する政治派と、経済第一主義の経済派の二つである。中曽根氏や小沢氏が前者であり、角栄、竹下両氏と現下の小渕首相は後者であるそうな。冷戦終了後の世界は、政治運営が経済問題に重きを置かれ、各国の首脳は経済派が主流ということらしい。小渕首相の理念と思想の欠如を責めるのは、スーパーマーケットにデパートの格調を求めるがごとく、どだい無理な注文なのである。過去、自民党は政治派と経済派の混交の中でバランスを保ち、その時代のリーダーシップをその都度選択してきたのである。

先日、前触れもなく友人のS氏が突然会社を訪ねてきた。ゴルフに出かけたら雨がひどく急遽中止とし、時間に困ったから寄ってみたのだという。相変わらずマイペースの友だ。彼は30人ほどの社員を抱える建築施工会社の社長である。
経営者についても、政治家の分け方に倣って私は二つのタイプに分けている。
経営理念や組織論を振りかざす思想家タイプのオーガナイザー派と、利益第一主義の金儲け派だ。これは企業の図体の大きさやその存在の背景により定められる部分もある。大企業では単なる利益追求の叱咤激励では全員を引っ張れまい。
もっとも、最近は政治の世界に似て経済界も、金儲け派が主流だ。
S氏は金儲け派の典型である。金銭に対する嗅覚や大義にとらわれない変わり身の早さ、リスクテイク思想など、小さいワンマン商店を前面に出し成果を得ている。徹底的に自分の目線を変えない行動視点を持つ。相手の立場に立ってという思考法は彼にはない。「人入れ稼業」とも「人だし稼業」とも建築請負業である自分の仕事を表現する。彼の外国人労働者をも含めた人の偏用のなさと、その動員力に私は感嘆する。「俺の商品は人だから」と彼は言い、「君の扱うのはモノだから」と断定するのである。それぞれ儲けの対象が違うことを言いたいらしい。
彼と私は若いころコンクリート工場の同じ職場で机を並べた。私がその職場を先に去り、彼は20年そこに勤めた後、不動産屋、外人ナイトクラブ、おもちゃ工場などつぎつぎ経営し、そして止めた。私と多少の縁もあった現在の仕事を始めて10年になる。まあほどほどに儲かっているようだ。
「俺って話せる友達いないだよな。君ぐらいだよ、こうして話せるのは。何かいっしょに仕事したいね。」と能天気な彼。突然来られて迷惑千万の私は「そうだね。いつかチャンスがあれば。」とつれなく答えてやった。


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