■亀の子コンクリート考
第四十五回:都市の緑化 小林 映章

地球の温暖化は重大な問題になっている。最大の原因が化石燃料の大量消費による大気中のCO2濃度の増大にあることはよく知られている。それとは別に、大気温度の上昇に伴って、地表面近くに堆積している腐植質の微生物分解が促進され、それによってさらに大量のCO2が発生することが明らかになっている(Science, 273, 393(1996))。実験からの試算によると、

0.5℃の温度上昇で、その後1年間に、森林地表面層から約1.4Pg(1015g)のCO2が大気中に放出される。この量は化石燃料の燃焼によって年間に発生するCO2の25%に相当する。

化石燃料の使用によるCO2の大量発生は大気温度の上昇をもたらし、その温度上昇が腐植質の微生物分解を促進し、それによりいっそうCO2の濃度が増大するという悪循環が生じるわけである。

さて、都市部においては、CO2の問題に加えて、コンクリート建造物やアスファルトなどによる局地的な高温化が顕著になっている。例えば、1950年頃の東京都心部と郊外の八王子の気温差は1,2度に過ぎなかったが、現在では冬期の最低気温でみると、6度ほど都心部が高くなっている。このような都市部の温暖化を少しでも防止しようということで、透水性舗装、ビル屋上の緑化などが叫ばれている。

温暖化防止ということになると、化石燃料の使用によるCO2の発生量を減少させることと、発生したCO2を減少させることの2つがある。現在化石燃料の使用量を減らすために種々の方策が採られている。下の表にわが国における電力の需給見通し(電気事業審議会需給部会中間報告(1998.6):日経、2000.9.18より)を示した。

 
区分
      1996年度             2010年度      
電力量
(億kWh)
構成比
(%)
電力量
(億kWh)
構成比
(%)
原子力 3021 34.6 4800 45
石 炭 1237 14.2 1360 13
LNG 2037 23.3 2130 20

一般 713 8.2 980 9
揚水 126 1.4 210 2
合計 839 9.6 1190 11
地 熱 36 0.4 120 1
石油等 1547 17.7 870 8
 新エネルギー  13 0.1 90 1

表に掲げた計画によると、表の年度範囲内で、化石燃料の使用量を約10%削減し、電力の増大を主として原子力でまかなうことにしているが、いまの原子力に対する国民感情を考えるとすんなりこの通りに進行するとは思えない。地熱や太陽光、風力、波力等の新エネルギーは僅か2%で、これでは節電に頼る以外方法がなくなる可能性がある。

ところで、都市部における対策ということになると、積極的なエネルギー節減と太陽電池の普及がある。太陽電池の普及については、いまのところ電池が高過ぎて、とても一般に普及することは期待できないし、さらに、太陽光の密度や、太陽電池に使われる半導体の製造エネルギーを考えると、果たしてこれでCO2削減に寄与できるかという疑問が湧くが、将来的には太陽光発電もCO2削減の一助にしないわけにはいかない。

一方、エネルギーの節減には緑化が重要な役割を果たすと考えてよい。緑化には人々をストレスから開放する力があり、単にCO2問題として扱うべきではないが、現在ビル屋上の緑化を叫んでいる最大の目的は高温対策にあることは明らかである。たとえビル屋上を全部録化しても、海洋や森林の寄与と比較すると、取るに足らないかもしれないが、先に述べたCO2発生の悪循環と合わせ考えると、地球規模で努力するとかなりの効果は期待できそうである。

ビル屋上を利用するとして、緑化と太陽光発電ではどちらが有利であろうか。緑が与える心の安らぎと太陽光の利用効率を併せ考えると、緑化が有効である。緑化出来る構造物については緑化に努力し、それが不可能な構造物については太陽光発電を考えるとよい。

ビルの緑化が叫ばれているときに、郊外では自治体による奇妙な行為が目に付く。一般に、街路樹には、夏は日陰をつくり、冬は太陽光を遮らないように、落葉樹を植えることが多い。落葉樹であるから秋になると落葉し、落ち葉が道路上に散乱したり、付近の家に風に乗って持ち込まれる。このような落ち葉が汚ないとか、樋に詰まって雨水の排出を妨げるといった苦情が寄せられるためか、多くの街路樹が自治体により無残に枝を切り落されている。しかもこのような行為が年々増えているようである。近視眼的と云わざるを得ない。ほんの少し前には、焼却炉が高温で劣化するということで、可燃物中にプラスチックを入れることを禁じ、可燃ごみの袋に炭酸カルシウム入りのポリエチレンを用いたが、いまはダイオキシンの発生防止ということで高温焼却を行うようになった。何か外圧が働かない限り、自治体も住民も自主的に緑を大切にしようという気持ちにはならないようである。


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