今日はある恋の物語だ。
半年ほど前突然女性から電話があった。彼女は私の母の遠い親戚筋にあたる人で、もう50歳ぐらいになるだろうか。私の大学生時代、住まいが近かったこともあり、よく行き来をしたものだ。現在新潟に住んでいる。もう子供たちも家を離れ、夫婦二人だけの静かな生活なのよ、と落ち着いた主婦の声であった。そう言えば彼女の結婚式以来会っていないから、もう30年にもなるはずだ。
とりわけ用事があるようでもなく、こちらに来ることがあったら必ず連絡してねと彼女は電話を切った。
彼女の連れ合いは私が紹介し、一緒になったいきさつがある。彼とは、私が学校を出て初めて配属されたコンクリート製品工場時代の知り合いだった。大手セメント会社から生コン工場に出向していた彼と仕事を通じ親しくなった。冗談半分のマッチメイクだったが、熱心な彼の求愛に、若いからと渋っていた彼女が根負けした格好だった。たしかに彼女は18歳の若さだった。
彼女の父は印刷会社を経営していて、それまで羽振りが良かったが、愛人がいたり、事業も急にうまく行かなくなったりで、彼女が高校に進むころには両親が離婚をしていたのである。引き取った弟や妹を養うため母親と共に稼がねばならず高校も休学していた。その頃出入りしていた私は、時折勉強を見てやったのである。彼女はお嬢様芸として子供の頃から習っていた日本舞踊を生活の糧としていた。弟子を取って月謝で稼ぐというより、舞台やクラブのダンサーである。
電話があって1ヶ月後、偶然彼女の連れ合いに依頼する仕事ができた。そして新潟を訪れた私は30年ぶりに二人に再会したのである。日本料理でもてなしてくれた後、彼らは行きつけのスナックに私を案内した。
「あなたは私の初恋の人だったの、あなたのお母さんが息子の嫁にって言ってくれたの、あなただって知っていたでしょ?」。確かに亡くなった母は人一倍彼女が気に入っていた。そしてそんな話もあった。私も仄かな気持ちは........。
「あなたが彼を紹介したとき、冗談だと思ったの。そしてあなたにその気がないと分かったとき、私は決めたの。」傍で彼はニコニコして聞いている。何もかも承知らしい。なぜいまさらこんなことを言うのだろう?青春の想い出は秘めるほど甘美なのに。同座するホステスは言葉もない。私は落ち着かぬ一時を過ごした。
結局彼女のいまさらの告白に解せぬまま新潟を去った。子育てが済んで、二人だけの生活が始まったとき何かが彼女の心にはじけたとでも言うのか?
もし、遠い昔のあの時、彼女がこれ見よがしに彼と楽しそうに語ることもなく、私に素直に思いをぶつけてくれたら、否!私が彼女の心を知っていたならば、その後の人生は大きく変わっていたに違いない。これが縁というものなのだろうか?
人生の「もし」は甘美で切ない。そして演歌「新潟ブルース」が特別の歌になった。
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