親の子供への愛情や行為は、見返りを期待したものでなく無償のものである。
そうした自己犠牲に伴う陶酔や快感は、神が人間に与えたインセンティブと言えるだろう。セックスのように甘い蜜がなければ、あえて重労働をしないのも人間なのだ。とすると自分とのやり取りに満足を求める自己完結型の打算ということにもなるが......。
私の母は少し細めではあったが美しい人だったように思う。
しかし、右側のほほに火傷の醜いひきつりがあった。物心ついたとき、そうした傷痕をもった母と人前に出ることにためらうようになったのだ。母の顔を見た人々の微妙な戸惑いが感じられ、心が冷めてしまうのだった。
それまで母の傷痕の理由を尋ねたことがなかった。
小学校に入り最初の授業参観は気が重かった。母が好奇の目にさらされることは明白だ。授業中一度も手を挙げず、早く時間が過ぎてくれることのみ願った。
ところが、授業のあと、先生を中心に親子全員での語らいの場が設定されたのである。友達はみな母親のところに駈け寄る。私は母から離れて教室の隅に立っていた。そんな私を見た母は、ただ微笑を返しただけである。
先生の質問に、知的であるが冷たさのない論理的な受け答えする母に、人々は感銘を受けたようだった。しかし、色白の整った顔の一部にあるひきつりに関心がないわけはない!そして、母の揺るぎのない態度や鷹揚さにつられて先生が、大変失礼ですが、と終に母にそれを尋ねたのである。
母は動ずる気配はまったくなく、微笑みながらゆっくりと語りだした。
太平洋戦争の末期、私達家族は東京にまだ残っていた。連日空襲を受け、逃げ惑う日々を過ごしていたのである。ある日、突然のB29の爆撃で私達の住む家が火事になってしまった。上の兄と夫の母を夢中で外に連れ出したとき、母は二階で寝ていた赤子の私を忘れていたことに気付いた。燃え盛る火を前にした母は止める手を振り切って中に飛び込んだのである。そして、倒れてくる柱から私を守ろうとして母はほほに傷を負った。倒れていた母と私を、結局消防隊が救ってくれたという。
話終えた母は、この傷は私の誇りですから少しも恥ずかしくありません、と結んだのである。私はすすり泣く母親達の間を抜けて、母に駈け寄り大声で泣き出した。
親は子供たちのために身体や心に傷を負うことも厭わない。親の生存中にその傷に気付く子は少ない。多くは自分が子を持ち親になる時気がつくのものだ。それは確かに遅いけれど、そういうものが親の愛だから仕方がない。
ところで、上の話は実話ではなくフィクションですので悪しからず。先日読んだ米国版ちょっといい話”チキンスープ"から借用しました。もしこの話で鼻がツーンとした人は老化指数が高いと言えます。
|