■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/03/13~2000/03/20
2000年03月[ /13日 /14日 /15日 /16日 /17日 /20日 ]

2000年03月13日(月)

2年ほど前まで、私の勤務先では週一回英会話教室を開いていた。

開設当初の目的は、社員の英語コミュニケーション能力のアップであった。中国の石を用いてデザインした景観材料の検収のため、社員の訪中が増えたことが背景にあった。はじめの数回は7,8人が勇んで参加したが、先生の若いニュージーランド人がやる気を出してきたころは、デザイナーの卵の若い娘だけという惨憺たる状況となった。好感もてる彼の性格に、もうやめた!とも告げられず、社員の子供たちにと枠を広げたのである。ただちに大学生から中学生まで女の子ばかり数人が集まったので、若い彼はまたやる気になったのである。
彼は母国で水産学を専攻したとかで、見るからに学徒の感じであった。日本の大学院でさらに勉強する予定であると聞いた。

最近、その彼を時々新聞や雑誌で見かけるのである。
彼はいま日本のインターネットブームの渦中に生きている。まさに高速で走るネット新幹線の最前列に座っているのである。友人と始めたレンタルサーバー業を振り出しに、クリック数保証バナー広告、アフィリエイト(クリックコミッション制広告)へと最高速で疾走している。やり口を見ると、ベンチャーキャピタルから上手に金を引き出して資金不足を補っている。社員もかなり増えたらしい。

彼らの創業当初、私も少しばかり顔を出してみたが、粗さばかり目立って、これは1年でツブれるだろう、と予想したのである。これが見事にはずれ、私の経営者としてのセンスのなさを証明することとなった。私はつい最近まで、こんな浮ついたビジネスなどバブル以外何物でもない、私の関わる会社が15年もやってこの程度なのだから、とどうしても認めたくなかった。しかし、事ここに至れば彼を素直に賛え、敗北宣言?するのは仕方があるまいと思う。

人はみな各々成功へのプロセスを持っている。自分の信ずるセオリーがあるのだ。
よく、小さな成功の体験が自信につながる、というアレだ。一方、他人の違うやり方を素直に認められるのは若さであり、感受性の柔軟さであろう。老化は残酷にまでその柔軟さを奪う。
私の場合、強情な性格の上に老化が重なり、いじけた性格が嫉妬という感情を掻き立て、塀の外側には落ちていないという最低限の成功?が、私の硬直したサクセス方程式を構成している。外人の彼の奮闘を素直に喜んであげないといけないし、古くなった方程式を書き換えないといけない。

今日、私は仕事がらみで愚かにも、感情を押さえきれずそのままわが愛すべき社員にぶつけてしまった。彼の絶望にゆがむ顔が今も心に残っており、反省しきりなのである。こんな日は自分の愚かさばかりが浮かんでくる。そしてこんな日のコラムは私同様皆さんも不幸なのである。


2000年03月14日(火)

私は家では電話に出ていけないと厳に言いわたされている。
最大の理由は、娘に電話をかけてくる男友達の不興を買ってはいけないからだ。
みな一様に、娘の親父は話しにくい相手の最たるものだそうだ。無愛想な私の応対で、まとまる話もまとまらないかもしれないとの妻の心配もあるらしい。

夜遊びの好きな娘の帰りはいつも遅く、妻が風呂にでも入っているときは、仕方なく私が電話に出るケースが生じてくる。たいていは洋画劇場のクライマックスの時であったり、推理小説ならばちょうど謎解きの真っ最中なのだ。愛想がいいわけはない。早く電話切ってくれないかと上の空だ。娘はいない、と言って、そうですか、と少し考える風な男は、ただちに、優柔不断なヤツめ、と断定してしまうのである。相手はいい印象を持つはずがない。かくして娘はこんなことで婚期が遅れたら最大の不幸とばかり、とにかく電話には出ないで、とのたまうのである。携帯に電話しろ、言いたいのであるが、相手側の高い電話代を考えるとやむを得ないとも思う。それにしても長い電話だ。

一度、妻にかかってきた電話に、手が離せなかった妻の代わりの出た。奥様いらっしゃいますか?に対し、ひとりおりますが、とエスプリ?を効かして答えたら、その後、妻の友人間で暫しの話題になったようだ。私のユーモアを一向に解さない妻は、自分の電話にも出ないでほしいと厳命したのである。かかってきた電話の相手がわかる高度な仕掛けもない我が家において、それから私は、家の電話には一切尻を向けることになったのである。

会社の創業当時は、仕事のことで仲間と毎晩のごとくで電話し合った。妻が、よくそんなに問題が起こるのね、会社だけでは済まないの?と心配したり、からかったりしたものだ。いつの間にか私は、電話がほとんどこない閑職になってしまったようだ。妻は、会社で仕事がないんじゃないの、そのうち、会社に来ないでくれ、と言われるわよ、と同情し、心配もするのである。

4月よりの一人暮しが確定した娘が、いまルンルン気分で引越し準備だ。多分、もう野暮な親父に邪魔されないから電話どんどんしてね、と男友達に話しているのだろう。私にしても気が楽になる。電話が鳴っても逡巡する必要はないし、気を遣う男友達からの電話もなくなるのだから。

しかし、安易な道は人間としてリッパになれないから、今度はこちらから娘に電話をかけまくって話し中にして、男友達の邪魔をしてやるのも面白いかもしれない。


2000年03月15日(水)

家計を握る夫が増えているらしい。

日本では、家の出納は昔から妻の役目と決まっていた。夫が家の金の出入りにとやかく口を出すと、吝嗇で女々しい小人物とされたのである。これは決して江戸時代の話ではない。少なくとも私の世代までは、「ゼニかね言うな!」と言って、お金のことをあからさまに女子供に言うことを避けたのである。

お金を細かく計算することや分担を明確にすることは、けちとか小者とか言われる理由となるから、我々はつとめてお金には無関心で無頓着を装うのを常とした。
妻に対しても、夫がいかに大人物であるかを示さざるを得ないため、アラブの大富豪のごとく鷹揚に財布を妻に預けたのである。そして妻はそれを己が家計を切り盛りする才があるからと愚かにも誤解したのだ。
男は勤め先での経済行為を通じて、金の使い方から貯め方まで学ぶのである。したがって、夫が妻よりも金銭の扱いについて知識も常識も識見も上であることは自明のことだ。ただ不浄の金は不浄?の女性に扱わせるという伝統に過ぎない。

私の勤務する会社で、こうした伝統に生きる男が私以外にもう一人いるのみだ。
驚いたことに、わが社のほとんどの男が自分で家計を握っているらしい。預金通帳を自分で管理し、大きな買い物は夫の予算計画に従うのだという。当然、妻や子供の小遣いも管理下にあるに違いない。彼らは業務を通じて得た経済運営の知識を、そのまま自分の家庭に応用しているわけだ。緊縮財政に馴れた当社の質素な営みをそのまま生かせば、この厳しい時代を生き残っていけるということかもしれない。

米国の家庭は自分で税申告をする。会社で源泉徴収という、夫が手抜きできるシステムがないからだ。それが夫の家計介入を必然化したとも言えようが、本来的には、お金に対する男女差別のない価値観(拝金主義?)がベースにあるのだろう。
そしてそれが現在の金融大国への道につながっているにちがいない。
そうすると、私の勤務する会社の連中のグローバリゼーションはかなり進んでいることになる。彼らは21世紀も化石とならず生き残っていけるのかもしれない。

妻にその話をし、私の知識?を大いに役立て共に21世紀に向かおうではないかと声をかけたら、フンと鼻で笑い、竹槍で黒船に勝てるつもりか、とのたもうた。
友人の会社の株を大損で抱えているのを馬鹿にしているのだ。竹槍はしがらみということか。しかし、私はもう変われない。したがって、失った家計権は永久に取り返せない。


2000年03月16日(木)

親の子供への愛情や行為は、見返りを期待したものでなく無償のものである。
そうした自己犠牲に伴う陶酔や快感は、神が人間に与えたインセンティブと言えるだろう。セックスのように甘い蜜がなければ、あえて重労働をしないのも人間なのだ。とすると自分とのやり取りに満足を求める自己完結型の打算ということにもなるが......。

私の母は少し細めではあったが美しい人だったように思う。
しかし、右側のほほに火傷の醜いひきつりがあった。物心ついたとき、そうした傷痕をもった母と人前に出ることにためらうようになったのだ。母の顔を見た人々の微妙な戸惑いが感じられ、心が冷めてしまうのだった。

それまで母の傷痕の理由を尋ねたことがなかった。

小学校に入り最初の授業参観は気が重かった。母が好奇の目にさらされることは明白だ。授業中一度も手を挙げず、早く時間が過ぎてくれることのみ願った。
ところが、授業のあと、先生を中心に親子全員での語らいの場が設定されたのである。友達はみな母親のところに駈け寄る。私は母から離れて教室の隅に立っていた。そんな私を見た母は、ただ微笑を返しただけである。

先生の質問に、知的であるが冷たさのない論理的な受け答えする母に、人々は感銘を受けたようだった。しかし、色白の整った顔の一部にあるひきつりに関心がないわけはない!そして、母の揺るぎのない態度や鷹揚さにつられて先生が、大変失礼ですが、と終に母にそれを尋ねたのである。
母は動ずる気配はまったくなく、微笑みながらゆっくりと語りだした。

太平洋戦争の末期、私達家族は東京にまだ残っていた。連日空襲を受け、逃げ惑う日々を過ごしていたのである。ある日、突然のB29の爆撃で私達の住む家が火事になってしまった。上の兄と夫の母を夢中で外に連れ出したとき、母は二階で寝ていた赤子の私を忘れていたことに気付いた。燃え盛る火を前にした母は止める手を振り切って中に飛び込んだのである。そして、倒れてくる柱から私を守ろうとして母はほほに傷を負った。倒れていた母と私を、結局消防隊が救ってくれたという。
話終えた母は、この傷は私の誇りですから少しも恥ずかしくありません、と結んだのである。私はすすり泣く母親達の間を抜けて、母に駈け寄り大声で泣き出した。

親は子供たちのために身体や心に傷を負うことも厭わない。親の生存中にその傷に気付く子は少ない。多くは自分が子を持ち親になる時気がつくのものだ。それは確かに遅いけれど、そういうものが親の愛だから仕方がない。

ところで、上の話は実話ではなくフィクションですので悪しからず。先日読んだ米国版ちょっといい話”チキンスープ"から借用しました。もしこの話で鼻がツーンとした人は老化指数が高いと言えます。


2000年03月17日(金)

私の酒の飲み方は邪道であると思う。
私のは、食事の合間に酒を飲むというかたちだ。おかずをパクパク口に入れながら、それを流し込む潤滑剤として酒を用いると言ってもいいだろう。

若いころ、叔父に教わった酒の飲み方はこうではなかった。酒を口に含み、芳醇を味わいつつゆったりと飲み込む。そしてその余韻をいったん断ち切り新たな芳醇を求めるため、口直しの少量のつまみを食するのがよしとされたのである。簡単に言えば、酒を飲む合間に少量の酒肴をはさむという事だろう。

酒を飲む時は大いにおかずを食べなさい、特に良性のたんぱく質が必須ですよ、という思想をいつの頃からか信奉するようになった。それが私の現在の飲酒マナーの所以だと推察している。とくにたんぱく質をというわけで、つまみとして焼き鳥だの、モツ煮込みだの、焼き肉など好んで食べたのである。おかげで肝臓を傷めることもなく、いつも血液検査の数値は申し分ない。
しかし、この飲み方が私にとって最悪であったことは、後年、私が痛風患者になったことから証明されたのである。まあ痛風になったのは、親の因果かも知れず、この病気を理由に酒の飲み方が邪道というつもりはないが。

最近、酒飲みの酒格というものが気になる。つまり酒の飲み方の品格というやつだ。今までの私は言うならば鯨飲馬食ならぬ減飲馬食というところである。酒量が減ったその分ゆったりと品よく酒を飲みたいという気持ちが背景にある。

端然と坐し、ゆっくりと口に杯を運ぶ。3度ほどくりかえしたあと、箸をとり塩辛なぞ口に含む。語るもよし、孤独に遊ぶもよし。すこしづつ酔いがまわり、身体から今日を支えた力がぬけていく。この時点ではまだ空腹でなければならない。満腹の胃袋では酒の心地よい刺激を味わえないのだ。そして最後に軽く茶漬けを流し込む。これが欲しいのである。

宴席ではいつも私は時間を持て余す。あっという間に酒肴を平らげてしまうのだ。
酒量も決めているから、予定量を飲ってしまえばあとは手持ち無沙汰なのである。
ウーロン茶を飲みながら、宴の果てるのを待つしかないのだ−。だからゆっくりペースの人にあこがれをもっている。

私の酒格が卑しいのは、人間が卑しいからだと妻は言う。それならば、高貴なはずの妻の早食いはこれいかに?


2000年03月20日(月)

一月末に私はスペインに出かけた。先方のさそいに乗って半信半疑で出向いたのであるが、瓢箪から駒のたとえ通り、私は一発で異国の商品に魅せられ、大胆にもその場で契約書にサインをしたのである。そして、一応かたちだけでもスペイン商品の日本総代理店となったのだ。世界で売れているグローバル商品であるならば、この代理権とやらは価値のあるものと言えようが、これから紹介しようとする未知の商品に関してだから、しばらくブツに札束を貼り付けて売るようなものだ。
なんのかんのとメールでやり取りしていたら、先方の責任者がいよいよ日本に乗り込んで来ることになった。今月末の予定だ。

日本の市場をその目で見たいということと、初めての日本とのことだから観光気分もあるのだろう。商売上のむずかしい局面までわれわれの関係は成熟していないので今の気分は楽だ。好漢の彼に日本をエンジョイしてほしいと思う。
1週間くらいいるから、その間私がずっとアテンドするのもかったるい。私も英語は達者ととても言えないが、会社の諸君はもっとひどそうだ。

一般に英語を多少話す人でも、その場に自分より上手な日本人がいると遠慮してしまう傾向がある。そのくせ外国人との間に自分以外の日本人が存在しないときは、開き直るのか予想外のコミュニケーション能力を発揮する。この窮すれば通ずを常に実行すれば日本人はシャイだ、などと言われないのであるが、自分が英語が下手だと思われるより、できないとした方が居心地がいいのか、沈黙を決め込むのである。他のアジア人のブロークン英語での必死なコミュニケーションを見れば、日本人の英語の質の良さを実感するはずである。

会社の諸君にそれとなく探りを入れてみると、そのスペイン紳士との接触はなんとなく楽しみであり、自分の英語もチャンスがあれば試してみたいような雰囲気がある。いい機会だから、彼には気の毒だが、この際社員の英会話のパートナーを務めてもらおうと考えた。たいした用件もあるわけではないのだからと勝手に思い込むことにした。そうすると、私の務めは極力その場にいないことである。
どうしても話さなければならぬ窮地に追い込んでやらなければならないのだ。

いずれにしても私が勤務する会社に、春の来訪とともに異文化の香りが漂いはじめた。みんなの心も少し弾んでいるように見える。
相変わらず明るい兆しの見えない業界と会社の業績はさておき、月末のスペインウイークを楽しんでみようか!

ところで私のスペイン語学習の約束?心あるならばどうか私の傷に触れないでください!


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