週末、忍者映画「梟の城」を見に出かけた。東京郊外の、今はやりのシネマコンプレックス内の一館だ。時代劇だからか若い人は少なく,中年の男女が目立った。
同コンプレックス内の洋画館は若者で盛況だ。「梟の城」は確か再映画化で、司馬遼の作品でもあり期待したが、途中であくびが出た。中井貴一のせりふが大時代がかって、あとの若い俳優(特に女優)の軽い調子との落差が大きすぎる。さらに現代風のテンポにしようとして、シーンを端折り過ぎた感もある。子供のころ東映の時代劇映画を見まくった私としては、天下の篠田正浩監督にも手厳しいのである。むかし、東映の大友柳太郎の「梟の城」を見ておくべきだったと後悔の念しきりだ。
私は場末の映画館でひとりB級映画を見るのが好きだった。お客のまばらな館内の硬い木の椅子で、3本立て映画をよく見たものだ。映画黄金時代、私の田舎には、当時映画館が6軒あった。高校生になって正式に許されるようになると、授業をサボって映画館に入り浸った。すべての館を見てしまって、次週を首を長くして待つということがよくあったものだ。日本映画はもちろん、洋画も何でもよかった。いま考えると信じられない、3本立てのはしごということもあった。
現在もときどき見る。東京の場末の粗末な映画館で、ポツンと一人見るのがやはり好きだ。人がまばらな館内でひっそりと見る。私はやっぱり田舎もので、貧乏人なのだなとしみじみ思う。本当に心が落ち着くのだ。
どうしても見たい封切りは、すこし豪華な映画館に行かねばならない。そこは若者で溢れている。私のようなジジイは隅っこでひっそり見る。一緒に見せてくださいとお願いしつつ見るのだ。
2時間ばかりの映画に、すくなくとも1回はトイレにたたなければいけないジジイの私は、豪華な映画館で若者と一緒というのは、老いを感じさせる寂しいひとときなのだ。だから私は人のいない場末の映画館でB級映画を見る。
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