■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/11/11~1999/11/19
1999年11月[ /11日 /12日 /15日 /16日 /17日 /18日 /19日 ]

1999年11月11日(木)

最近はコンサルタント業なるものが隆盛である。いかがわしいものから、正統派までとにかく幅広い。いずれにしても、その道のプロから適切なアドバイスや指導を受けるわけで、全てが複雑化、高度化した今日では、用いて便利な代表的なサービスと言えよう。それにはコスト(フィー)が伴うことも、最近では一般に受け入れられてきたようである。この分野も欧米化してきたと言えよう。
14年前、仲間と会社を興した時、技術コンサルタントの看板をあげた。所有する技術に深さがなかったことと、教育指導のサービスにわれわれの適性を感じたこと、さらに投資がほとんど要らないことなどが理由であった。コンクリートに関して便利屋さんになろうと誓いあって、不確かで先の見えない道を歩きだした。
私は新製品、新技術の開発が担当ということになった。仲間はただちに仕事を求めて東奔西走した。私は自分自身の技術履歴をチェックし、浅薄な分野の知識補給に勤しむ。そして自分なりの開発手法の体系化に取り組む。
そんな折、仲間の一人が新製品開発の仕事をとってきた。初仕事だ!
ところが、これは、まったくコンクリートとは関係ない美容の分野だった。何でもいいからコンサルしますと友人に頼みまわった仲間の手柄(?)だったのだが。
2店ほど経営している美容店の男主人が、パーマの新しいやり方を考えたのだ。
手先の器用な者ばかりが美容師になるのではないという。髪の毛をクルクルとうまく巻けない者もいる。そこでプラスチックの小道具を使ったアイデア商品を思いついたのだ。聞いたところまだ原始的アイデアの段階で、具体的商品のイメージも湧いていないようだ。材料の知識もないから、夢のような万能材料を指定する。特許を取って全国展開するのだと目を輝かせる。
気乗りしなかったが仲間の友人への義理で、結局受けることになった。なじみのない業界ゆえ、噴飯の失敗もあったが、3ヶ月後、商品設計と特許申請が可能となった。商品の製作会社と弁理士をその発明美容家に紹介し、私の初仕事は終わった。事業化したいのでぜひ手伝ってくれと言われたが、不案内な業界ゆえ、間違っては、と固辞した。
いただいたコンサルティングフィーは、調査に奔走し、現場ヒアリングをし、試行錯誤の繰り返しの実験に見合うものではなかった。が、しかしその後の新製品開発手法をでっち上げる(!)貴重な経験となった。
この新技術が、その後のパーマの主流となったという話は聞かない。


1999年11月12日(金)

日本では、あのバイアグラも、経口避妊薬(ピル)も、あまり売れていないという。米国での売れ行きからすると、日本でも相当売れるだろうと予想する向きもあった。この点興味のあるところである。(文化人類学の観点からです。念のため!)
どちらの薬も性に関する特効薬(?)である。治療薬というより(性)生活向上のための便益性に重きをおいた改善薬である。なにがなんでも必需品とは日本人は考えない。副作用と医者の処方箋が必要、などのネガティブな要素と、満足度 (男か女かが問題だが)をはかりにかけて、性的欲望を犠牲にするのが一般的な日本人だ。命が惜しいから我慢するというわけだ。
一方、ピルに消極的な若者が多く、一様に「からだに良くないそうだから」と言っていたが、感心するほど健康的で冷静だ。いざ!となっても感情に流されない自信があるのだろう。
米国人にとって、性の切れ目が縁の切れ目となるから、バイアグラがはなせないとの説がある。夫は妻の欲求に応える義務があるというのだ。どうも男の性の執着より、妻への義務感があるという考えだ。さすがウーマンリブの国というべきか。そして「ビジネスはリスクをとること」の信条に従い、副作用がゼロではないかもしれない薬を含む。男女の間は性がすべてではないというが、裏にはかなりの比重を占めるぞとの意味もある。それをあからさまに出すのが米国人だ。
人は老い、そして肉体も衰える。神は、それに合わせて欲望もけずっていけとお命じになる。しかし、進みすぎた現代はその生物的ライフに狂いを生じさせたらしい。セックスアニマルもノンセックスも、暴走するホルモンの悲しく空しいいたずらだ。
ピルについては、避妊以外に生理日の調整などの用途もあるようだが、残念ながらその方面は知識もないし興味もない。
私自身の肉体は、バイアグラがあった方がいいといえる状況にあるが、すべてに義務感を持たぬ生来の無責任のため、死んだふりをしている。


1999年11月15日(月)

娘の米国での父親からEメールが届いた。初めてのことだ。
彼は私の娘の女友達の父親で、仕事をリタイアしてワシントン州の田舎に住む。
二人は米国で、大学のとき友達になった。娘が彼女の実家に長期滞在もしたらしい。彼女が大学を卒業し、ある大手の語学学校の先生となって日本にやってきた。
娘は今年の9月より米国の別の大学へ移った。
その米国の紳士より、自分は米国における娘の父親のつもりであると、涙のでるようなご託宣があったらしい関係で、私も日本に来た彼女に、あなたの日本のおとっつぁんは小生ですよ、と高らかに宣言したのである。
子供は親から独立し、その交友関係に親が口出しをしないのが米国である。と、思い、娘が世話になったと知りつつも、礼状を出すのは、親離れ子離れしていないことを見せるようで遠慮していた。ところが、彼から丁重なサンキュウメールが来たのだ。わが家族がやさしくしたこと、家庭を開放した(?)こと、 Eメールの便宜をはかったことなど、心から感謝するとの、まさに親バカチャリンの内容だ。さらに近々わが娘を自宅に招待する予定であるとまである。娘の話だと、自分の飛行機を操縦して迎えにくるのだという。こちらから先、礼状を送るべきだったと思ったが、あとの祭りだ。
さて、その米国ギャルは初めての日本で、ストレスがだいぶたまっていたようだ。
体の調子がどうもいまひとつのようだった。「ダイジョウブ!」としか言わなかったが。
自宅アパートの風呂場で転んだ彼女は意識を失う。頭を強く打ったのだ。翌日の昼、学校に出勤してこない彼女を心配して職員が訪ね、倒れている彼女を発見する。ただちに、救急車、入院だ。意識が戻っても目が見えなかったと彼女は言う。
それから8日間検査入院。医者が英語をじゅうぶん解せずフラストレーションがあったという。彼女の言によると、前脳が若干腫れただけだ、その他は問題がなかったらしい。私がこのことを聞いたのは、彼女が仕事に戻ってから暫くしてだ。
この事故を契機に、肩の力が抜けたのと、自分の生徒や仲間との親しみが増して気が楽になったらしい。久しぶりに家にきて話す彼女の顔は屈託がなかった。
入院中、運ばれた救急車の費用ばかりが気になったという。米国は有料で、しかも高いのだという。いま大学費用のローンを返している彼女にとって、急な出費はおおごとなのだ。この話をする彼女がいじらしかった。
しっかり日本のお父さんやってよね!とあちらのお父さんから言われたような気がして、何かあったらすぐ電話をよこしなさい、と言ったら、「ダイジョウブ!」と返ってきた。


1999年11月16日(火)

テレビドラマのような、湯けむり温泉変死事件が目の前で起こった。
恒例の通常総会が、紅葉の盛りをやや過ぎた那須高原のホテルで催された。この集まりは、ある建設技術を基にした実施者の、年に一度の顔合わせだ。私も、この技術の立ち上げ者の一人として、当初から会の運営にタッチしてきた。
今年の2月、基本の特許も有効期間が終了し、施工実績もピークはとうに過ぎて、そろそろ市場から消えていく使い古しの技術になりつつある。今回は、最初から今年の総会を最後にするという役員間の事前合意があっての集まりでもあった。成功と言ってもいい十分な量の実績には、関係者の一人として満足感はあるも、楽しい集いが消えていく幾分かの寂しさはやはりある。15年にまたがる協会活動のなかで、9回実施された海外研修は、参加者にいい思い出を残しているようだ。私は7回も参加しているのだ。
大阪から参会した、地盤工事会社の専務が、深夜サウナで怪死した。ホテルの宴会場で行われた一次会と、スナックでの二次会の途中まで私はいた。その後、彼は部屋で、仲間同士12時ころまで飲みつづけたらしい。12時を過ぎて、ひとり風呂にいってくると出たという。そして、1時半ごろ、ガードマンがサウナで倒れていた彼を発見した。
救急車が来たときには、手遅れだったという。目から出血があったと聞いた。
裸で、部屋のキーを持たぬ彼の身元が分からず、苦労したらしい。その日ホテルには千人以上の客がいた。従業員総出で、明かりがついた部屋をさがしたり、ひとつひとつドアのキーを確かめたらしい。会の幹事に一報が入ったのが3時半ころだという。とりあえずの検死で病因による死亡と判断はされたようだ。
部屋の仲間が我々も事情聴取があるのでは、と言っていたが、何もなかった。やはり病因なのであろう。その日予定されていたゴルフコンペや紅葉狩りは当然のごとく中止され、幹事と主だった関係者以外、早めに帰路につくことになった。
彼は43歳、小学校3年生の男の子を頭に3人の子持ちの由。仲間の同情しきりなのはもちろんであった。さっきまで楽しそうに我々と呑み、語り、唄った彼が突然逝くなんて、と無言の中に驚愕を抱きつつ我々は家路についた。
家に帰って、皆で撮った記念写真をみたら、なんと私の隣で彼が微笑んでいるではないか。快活だった彼を思って涙を禁じえなかった。
わが同胞よ、大阪の友よ、建設戦士よ、安らかに眠れ!  ああ気が滅入る。


1999年11月17日(水)

神奈川県警の内部不祥事に関するニュースが連日のごとく駆け巡っている。
元本部長をはじめとする旧幹部がズラリと書類送検される大事件だ。警察の権威もここまで落ちたかと慙愧に絶えない。
危機管理の生みの親で、歯切れの良さが売り物の、元内閣安全保障室長佐々淳行氏がいつかテレビで言っていたが、「警察官にも悪いやつがいることを前提に、上司の責任を問わない、個人責任がベースの米国型組織に変わるときがきている.......」に大いに賛成だ。上司の監督責任が問われるから、組織ぐるみの隠蔽工作が起きるという論理だ。個人で犯した罪は、本人だけに帰せられるべきであるということだ。最近はやりの「自己責任」に合致する。
一方、この論に対して、いわゆるトカゲのシッポ切りになりはしないか?の心配もある。強力な支配力を持つ大組織の上司の命令には、下の者は逆らえないのが普通だ。いつだって政治家や高級官僚の犠牲になるのは、ノンキャリアの下っ端官僚だ。その点、今回の警察上層部の責任追及はマシ(?)と言えるのかも。
もし、私が覚醒剤常習者の警官の上司で、自己申告されたらどうしたろう?、さらに監査室長や本部長だったら?と考えてみたが、断固、犯罪者として公にするという毅然たる態度をとることができたか、正直言って自信がない。その警官の実績、将来、組織のダメージ、監督責任、自分の評価など考えて、彼らと同じ轍を踏むのではないか?もっとひどい悪もある、清濁併せ呑むのも上司だ、こんな小さなことで警察の権威が地に落ちてたまるか、などなど心の中の反論に打ち勝てないのではと考えてしまう。
日本人は組織の中で自己を出しにくい。職場のつながり、職縁があまりにも強いものになってしまった。地域、親戚などの縁よりも強固ともいえる。その結果、組織の縁が一生を支配する。身内を犯罪者に仕立て上げるには、その縁があまりにも深い。
今回の事件を、キャリア官僚の悪弊、警察官モラルの低下、監査システムの欠陥などに捉えるマスコミも多いが、もっと根深く、本質的な問題を提起しているように思う。こうした組織ぐるみの行為はどんな組織でも起こりうるのだ。


1999年11月18日(木)

「日本人は敬称と包装には細心の注意を払うが、宗教にはこだわらない」と、米国の大学では教えるらしい。最近読んだ本の中にあった。
確かに、英語のように「ユー」の一語だけで世間は渡れない。包装も、過剰とは感じつつもなかなか捨てきれない。この指摘、いい得て妙だ。
宗教にこだわらないことは、信教の自由を尊重していると解されないこともないが、米国人はもっと辛らつな見方をしているらしい。
子供のころから宗教的生活を強いられる大方の米国人には、すべてに優先する、神と自分の間の価値基準が形成されるのだという。これは他人に左右されない固有なものだ。そしてこれが孤独にも耐えうる強力な自我となる。
一方、たいがいの日本人は、仲間うちの合意や世間の了解などを自分の判断基準に取り込む。個人と仲間全体のバランスの上に自分を置くのだ。米国人から見れば、主体性の無さや変節きわまり無さが気に入らないのだろう。
宗教的信条は妥協し得ないものだから、究極は決裂に至る。各地の宗教戦争とも言える民族紛争の例を引くまでもない。この点、日本は米国から見れば御しやすいことは明白だ。エコノミックアニマルの名のとおり、経済問題にだけエサを与えればいいのだから。
私自身の生き方、価値観を考えてみたとき、あまりにも人の目を意識した相対的な判断基準を引用しているのに愕然としてしまう。人に対して恥ずかしい生き方をしてはならないというとき、その人というのは誰だろう?幸せというものを考えるとき、世間の人々との比較の上で考えてはいないだろうか?などなど。
昔から、絶対的な価値基準がある宗教に、ほのかなあこがれをもっていた。しかし、あまりにも現世的な利益を説く新興宗教や、架空の昔話を後生大事に語り継ぐ多くの宗教の嘘っぽさに、入信する意思が芽生えることがなかった。座禅をしても健康法以上のものではない。このまま無宗教で生を終えることになるだろうが、いま、自分の精神の価値基準アップを密かに狙っている。色即是空、空即是色の諦観だけでなく、もうすこし創造的なものがいいのだが。


1999年11月19日(金)

日本語の漢字は表意文字であるから、正しく読めなくとも意味は理解できるという例は多い。これは眼で意味を探す習性に結びつき、外国語会話の習得も読むことから入ってしまう間違いを犯す。だから私もいっこうに英会話が上達しない。
日本人の習性から抜け出せないからだ。
学生のころ、隣家のオヤジが会話の中で、円滑を「えんこつ」と発音した。読書中毒の叔父に、オヤジの教養が足りぬと生意気言ったら、大昔は「えんこつ」とも読んだのだ、頭が足りないのはおまえだとどやされたことがある。なるほど、日本語は難しい、今後、人の言い方に絶対イチャモンをつけてはいけない、と今日まできた。過去に幾度か、自身でも恥ずかしい言い方をして、後から顔が赤くなったことがある。総花的を「そうかてき」、伏魔殿を「ふしまでん」と言っていたのだ。「そうばなてき」、「ふくまでん」が正解である。念のため。
人の良い、本だけが人生という田舎の叔父に久しぶりに会った。私の教養の浅薄さを諭した叔父である。聞くと、彼と彼のゴルフ(マレットゴルフという、ゲートボールでやるショートゴルフ風のもの)友達と大喧嘩したとのこと。10年に亘る友情に大きなヒビが入ったとの叔母の言である。その友人は元高校長の紳士だという。原因を聞くと笑ってしまった。漢字の読み方でもめたのだそうだ。相互の知性をかけて論争したのだそうだ。それは文言を「もんげん」と言うか、「もんごん」と読むかということらしい。叔父に聞かれて「もんごん」だろうと答えたら、叔父は相好をくずして、そうだろう、そうだろうと頷く。高校の教師もたいしたことはないと気炎を上げる。むかし私を諭した賢明な叔父から、頑迷な老人に変わったとは、かわいそうで言えない。ため息をつくばかりであった。
そう言えば、いま大学院で妙な(?)学問をしてる下の娘が中学生のころ、「イタチセイソウ」ってどんな人?と聞かれ、「いたち」を清掃する? と詰まってしまったことを思い出した。彼女の差し出した教科書の文字を見たとき、私は驚愕で言葉もなかった。この子は大丈夫だろうか?とほんとに心配したものだ。
そこには「伊達正宗」とあった。


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