私の社会人としてのスタートは、昭和三十年代初期の”なべ底景気”といわれた不景気な時代であった。 そんな時代の常として、自分の志と異なった選択であったが、ある出会いと事情によって、コンクリートと縁をもつようになったのである。
まったく専門外で、当初、コンクリートに対する知識を持ち合わせないこともあって、コンクリートとはまさに無愛想で、扱いにくい代物だ、これは大変なものに関わってしまった、早いとこ別なもっとカッコいい仕事に変わろうと真剣に考えたものである。
それが月を、年を重ねて現在に至っている。しかもだんだんと愛着を深めているとは.......。
コンクリートのどこに魅力を感じ、こんなに長い間関わってきたのか。改めて自問してみると、私の場合次の三つに要約できそうだ。第一に、正直に向き合えば、正直に答えが返ってくる質実剛健?な材料であると感じたこと、第二に、まだまだ未知の分野がたくさん残されている古いけれども、奥深い材料であること、第三に、高度な研究や開発ばかりではなく、私のような現業屋にとっても問題を解決する楽しみがある、幅の広い領域をもつ材料であることなどであろう。
一所懸命に接すれば、なにがしらの答えを与えてくれ、いいかげんな態度で臨むならば、手痛い結果をくれるコンクリートとは、まさに妥協をしない正直な材料であると常々感じている。従って、なぜ?どうしたら?の疑問符をいつも心に、真正面から向かっていくことに努めている。これがまたわれわれ世代の融通の効かないところかもしれないが。
今の厳しい経済環境は、私が社会人としてスタートした時代と似通っている気がする。当時のまだ本気ではなかった私に較べて、コンクリートに魅力を感じ、情熱をもって取り組んでいるたくさんの若い人たちを見聞するにつけ、心強く感じるともに、明日の更なる発展を信じたくなる。 コンクリート業界のステイタスは、他産業に比較し、建設産業の凋落によりいっそう低くなったのではとひそかに心配するのではあるが、コンクリートの材料としての魅力、と社会資本整備に不可欠であるという重要性が、若い業界人の誇りと自信にぜひつながってほしいものと思う。
コンクリート製品、工法を建設業者を通して提供し、それが有用に使われ、実際に社会に役立つ喜びは、われわれにとってこの上ない喜びである。
”若さ”、私にはないこの無限のような将来性に心から敬意を表するのである。
コンクリートはいま技術の点からも、産業構造の観点からしても転換期を迎えているよう気がする。公共事業投資の見直しが叫ばれ、コストダウンがうたい文句となり、規制緩和の合いの手が入る。
変革期こそチャンスありと前向きにとらえるべきであろう。このときだからこそ思いきってできるのだから。
今後も若い人へのエールを送りたい。
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