■私の“プロジェクトX”「無騒音工場への挑戦」
出会い 高木 利彦

 大学を卒業して岡山の二次製品会社に就職して5年が過ぎ、平成元年に現在の丸高コンクリート工業に入社といいますか戻ってきたと言いますか、実家の家業の手伝いをするようになり、それまでは営業しか経験が無かったのですが、全国的な工業会に出席などするようになって色々な方とおつき合いが出来ました。

 その中で当時コンクリートについては営業としての知識が無い私にコンクリートに対しての興味を湧かせてくれたのが館山コンクリートの諌山社長でした。

 今でもそうですが、なにせ思い立ったらというか事業主に多い性格というか、興味があったら取りあえず自分で確認しないと気が済まない性分の方で当時の誘い方(今でも代わっていないかも知れませんが)などは「群馬県に面白いコンクリート用の混和剤を作っている会社があるから見に行かない?」と誘われました。

 それじゃ行きますかと気軽に誘いに乗ったのですが、一体どう面白いのかと尋ねなかったのは、私がコンクリートの技術者でないうえにコンクリートに対する興味よりも、諫山社長に対しての興味が強かったからかも知れません。

 そこで見た物は技術者でない私には非常にインパクトのある物でした。セメントモルタルの硬化の早さと製品の艶と言うのでしょうか非常にきれいな肌をもった製品が出来る混和剤を見たのです。それでいてセメントモルタルがまるで生きているように型枠に入っていくのです。当時、現在の会長から従業員の健康診断結果で難聴者が増えている点を指摘され、改善を迫られていた私にとってはこのうえない出会いであると思いました。その一週間後、諌山社長と当社会長と群馬までもう一度足を運んだことが昨日のようです。

 なにはともあれこの時点で高流動コンクリート等と言った名前があったのかなかったのか知らなかったのでわかりませんが、現在の高流動コンクリートのあるべき姿だけは頭の中で描けたことは間違いありませんでした。

 その後、3ヶ月間に渡ってセメントペーストやモルタル試験を行いましたが、この混和剤だけでは頭に描く高流動コンクリートが作れませんでした。

 どういうことかといいますと、どうしてもこの混和剤だけでは材料が分離してしまったのです。

 この時期に水中コンクリートと出会います、技術者の方からすると本当にばかばかしい話だと思いますが、恥ずかしい話ですが技術者でない私はコンクリート業界に5年もいて当時水中コンクリートを初めて見たときに「こんなコンクリートがあるのか」という驚きと同時に、3ヶ月も悪戦苦闘して実験で練っていたセメントモルタルと水中コンクリートを足して2で割ったようなコンクリートが頭の中でイメージ出来ました、それが現在の自己充填コンクリートの原型で私の思い描いていたコンクリートに近い形なのではないかと思いました。

 その当時化学薬品の営業に来ていた(株)ケミックスの北岡社長に弊社の名前を出さずに、現存する混和剤を出来るだけ集めてくれないかと依頼したところ、混和剤のサンプルを20種類位納入して頂き、会社が倉庫として使っていた場所を利用して小型のミキシングマシンで1ヶ月くらい配合試験を行いました。

 なんとか思っていたコンクリートの原形が見え、試験型枠にコンクリートがバイブレーターを必要とせず打設出来た時のことはこれからもきっと忘れる事がないと思います。


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