■亀の子コンクリート考
第四十七回:環境にやさしい植栽コンクリート 小林 映章

山間地に自然に融け込んだコンクリート構造物が出来れば、それは素晴らしいことである。都市部に人々の心を和ませてくれる、緑に充ちたコンクリート構造物が出現したら人々は賛辞を惜しまないに違いない。植栽コンクリートが要望される所以である。

植栽コンクリートの発想は、ただ単にむき出しのコンクリートに植物をそえて、灰色のコンクリートから緑を回復することではなく、自然界全体を考え、生態系を保全するものでなければならない。生態系を保全するということになると、動植物が生育する生活空間を形成する土地や水辺や日照空間を保全し、特に、生育のもとになる土壌を破壊したり、消滅させたりすることがないように留意しなければなりない。コンクリート構造物もこのことを念頭に置いて、でき得る限り生態系の保全に適合するように構築しなければなるまい。

植栽コンクリートを考える場合に、草や僅かばかりの灌木が生えれば良しとする発想は、幾つかの先例から明らかなように、人々の賛同を得ていない。かつて流行ったように、無理やりコンクリートフレームで囲った仕切内に草を生やした護岸や法面緑化はとても植栽コンクリートとは言い難い。フリーフレームの法面なども芳しくない例で、その中にいずれ植物が繁茂することを期待しているわけであるが、これなどは、地形が備えている自然の秩序も失わせているし、コンクリートという人工物の持つ幾何学的な美しさも完全に欠いている。コンクリート構造物の本来の機能を保持しなければならないことは勿論のこととして、それが備える人工の美しさを損なうものも感心できない。

都市部においても、緑を大切にという声に押されて、コンクリートで四角に囲った構造体中に草花を植えたりしているが、美しいと感じる人がどれくらいいるだろうか。都市部であれば、地方とはおのずから異なった設計が必要である。ビルの窓辺にさりげなく設けた植栽は美しいが、壁全体に無理して「緑」を吊り下げても頂けない。

植栽コンクリートではないが、生態系の保全に失敗した例を筆者は子供の頃に見せつけられた。日本では有数の大河として知られている信濃川は、遡って長野県に入ったところで千曲川となり、さらに、川中島の合戦で知られる川中島で千曲川と犀川に分かれている。犀川は千曲川とは異なり急流であるため多数の水力発電所が造られている。その中に東京電力の水内発電所というのがあり、川を堰き止めた大きなダムがある。川を堰き止めたダムには当然のことながら魚道を造らなければならない。このダムにも魚道が造られたが、恐らく設計ミスであろうか、人々の期待に反して魚が通ってくれないのである。結局のところ地元の漁業協同組合が補償金を受け取ることで決着したと聞いている。犀川の魚の上り下りはこのダムで切断されているわけであるから、補償金の支払いで済む問題ではないと思うのだが。これなどは形を作って魂を入れなかった好例である。

人々が期待する植栽コンクリートは、自然と一体になった、いわば環境に溶け込んだ、環境にやさしいものである。自然と一体に、ということになると、そこにあるコンクリート構造物は、コンクリート本来の機能を完備すると共に、植物がその構造物と一体化するものである。ヒントは緑で完全に覆われた火山岩地帯である。この自然は透水コンクリートが植栽コンクリートの基体となるべきことを教えている。


前のページへ目次のページへ次のページへ