■亀の子コンクリート考
第四十回:変容する耐久構造物 小林 映章

コンクリート、レンガ、石などの耐久材を用いた構造物は感覚的には永久構造物である。古代エジプト文明の誇るピラミッドは4500年以上経てもその偉容が変わることがない。コンクリートで造られた橋梁や建築物に対して人々は永久性を期待している。建築物も同じである。多くのレンガ造りの建築物や高架橋なども永久構造物としての耐久性が期待されている。石やレンガを材料とする西欧では建立後何百年も経た伽藍がそのまま使用されている。わが国でも100年近い歳月を経てなお建造当時のままで使用されているコンクリート橋がある。

木造建築物でも寿命の長いものがある。現存する世界最古の木造建築物である法隆寺は建立後一度消失し、再建されたが、その建造物は1200年以上風雪に耐えている。姫路城は400才近い年齢になるし、日光東照宮も400才近い年齢に達する。しかし木造建築物はとても永久構造物とは呼べない。公共の保護の下で皆が余程大切にしない限り忽ちにしてその容貌を変えてしまう。木造建築物は法隆寺などのように寿命の長いものがあったとしても、本質的に使用期間が限定された有限構造物である。

コンクリートやレンガなどの耐久材を用いた構造物の耐久性も最近は大分おかしくなっているようであるが、最近の欠陥構造物は別として、立派な耐久構造物も事情が変わると耐久構造物として扱われなくなる。経済発展に伴う規模の拡大、相対的な機能性の低下、時代による主役の交代、美意識の変化等々により、耐久構造物も消滅の道をたどることがある。例えば、東京駅近辺で言えば、明治から昭和の初期の人々に親しまれた帝国ホテルや丸ビルなどが取り壊されている。帝国ホテルも丸ビルも耐久性だけから見ると取り壊わさなければならないほど疲労した建築物ではなかった。周囲に近代的な高層建築物が林立している現状では、その規模や機能性などから改築を余儀なくされたわけである。

帝国ホテルや丸ビルは日本が西欧の技術文明を取り入れて建築した近代日本を象徴する文化財的にも価値のある建築物である。(帝国ホテルの一部は明治村に保存されているそうであるが。)新たに建築された建造物は今後長期にわたって存続するであろうが、この新建造物に象徴的な価値を見出すことは難しい。

大切な永久構造物で消滅したものは他にも幾らもある。例えば、善光寺の門前町長野市の正門とも云える長野駅は善光寺本堂を形どった屋根を持つ建造物として有名で、皆に愛され、長野に住む人々の誇りでもあったが、新幹線を通すということで取り壊され、全く味気ない新長野駅が造られた。かつて教育県と云われた長野の名が泣いているのではないか。

失われた木造建築物をコンクリート構造物で模造して永久に残そうという例が大阪城、名古屋城といった日本の城で多くみられる。崩れた本物の石垣に感激しても、コンクリートの城に感激する人は余り多くはないのではなかろうか。勿論コンクリート城は歴史的遺産を残そうということで築造されたわけではなく、商魂の産物かもしれないが。


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