■亀の子コンクリート考
第十二回:純粋な系不純な系 小林 映章

幾つかの物質を化学的に反応させて何か新しいモノを作るときには、用いた物質の純度が得られたモノの性能に大きな影響を及ぼすことが多い。半導体は極めて純度の高いシリコンなどの基板に極微量のP(リン)などの不純物(実際には不純物ではないが)をドーピングして目指す性能を発現させている。水は極微量のイオンが溶け込むことによって電気を通すようになるし、ほんの僅かの界面活性剤が入ることにより何処へでも浸透していく。

微量の不純物により本来の性質が変わったり、出来たモノが変わったりするため、まず何かを研究する場合には、できる限り純粋な材料を使って性質を調べたり、反応させたりするのが一般的である。純粋な材料を使って性質を調べておけば、次に意図的に不純な材料を使い、あるいは不純物を添加することによりその影響を知ることができる。最初から不純な材料を使っていると、結果がばらつくのは当然で、何か有意義な結果が出たとしてもそれを的確に解釈し、次に活かすことは難しい。とは言っても、実際の工業原料で期待するほど純粋なものがあることは希で、通常は不純なものを使わざるを得ない。コンクリートのように大型で、もともときれいな状態でない土木に供するものは、他の分野からみると不純とみなされるものを使うのが普通で、きれいな材料を使って、きれいな実験室で開発したやり方を現場に持ち込んでも通用しない。有機高分子物質などを扱っていた技術者がコンクリートに接してみて違和感を味わうのはこのような点かも知れない。

しかしながら、どうせ不純だからいいかげんな扱いをしてもいいという考え方はいただけない。よく初めに本物に接していないと偽者を見つけることができないと言われている。本物の宝石を見る目がない人は精巧に出来たガラス玉を簡単につかまされてしまう。素人に書画や骨董品を見る目があるとは誰も考えていない。宝石や書画や骨董品を誰もかも鑑別できる必要はないが、自分の仕事に関しては日々それに携わる人としてのプライドを持てるようにしたいものである。

コンクリートについて深い知識があるわけではないので、的を射たことは言えないが、セメントの水和反応をみても、各種混和剤の働きをみても、粒子表面での反応、すなわち、界面での反応が無数にあることに気がつく。界面反応は特に界面の状態によって反応結果が異なるので、その反応機構などを正確に知り、材料を使いこなすためには、実験に使う材料の選び方や、実験条件の設定に注意しないとせっかくの努力が無駄になってしまう。

どうせごちゃごちゃといろいろなものが混ざりあっているんだから気を使って面倒なことをしてもしようがない、固まってしまえばどれもこれも頑丈ではないか、といった考え方はとてもいいとは言えない。阪神大震災の後でも、台湾の大地震の後でも、倒壊したコンクリートの傷口から鉄筋の周りが空洞になっているのが見つかったり、セメントの袋や布切れが見つかったということであるが、こういうことは少なくとも同じ建築物でも、高分子構築物では見ることがないと思われる。高分子構築物ではすぐばれてしまうということもあるが、関係者の意識の差も認められると思う。


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