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■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/05/11〜2000/05/19
2000年05月[ /11日 /12日 /15日 /16日 /17日 /18日 /19日 ]

2000年05月11日(木)

久方ぶりに銀座のバーで飲んだ。

もともと銀座は私に縁のない街だ。東京近郊に40年近く住んでいても、貧乏人にとって銀座は縁遠いところだ。なにせすべてが高そうだ。そして気取ったキザな連中が集まる場所だ。かくいう田舎者の劣等感は容易に拭い去れない。

過去の勤め先との縁から、新橋や上野や新宿が私の気の置けない街だ。もちろん第一は今の職場がある都下のこの街だが。いずれにしても私は、一度持った先入観から抜け出せない、かつ手ごろなところで済ませる安直な人間なのだ。簡単に言えば、一般庶民!と括られる人種なのである。

私と、勤め先の社長Mとが仕入れ先からご招待を受けた格好だ。神田付近で飲んだ流れだった。先方の部長は育ちが良いらしく?銀座になじみの店があるという。
当方のMは、顔は徳利の底みたいな顔(どういう顔?)をしているが、酒は一滴も飲めない下戸だ。なじみの店などどこにもない倹約タイプである。山口の在に育った彼にも銀座はまぶしそうだ。

上野、新宿となじみの店があった私も、10年前の痛風の宣告以来、足は遠のいている。一人孤独の酒を楽しむべく、家の近くにこしらえた行きつけも、2年前貸した金とともにママが消えて、もうゆっくり飲むところもない。サラ金に追われていた彼女にわずかな金を無心されて、戻らないつもりで貸したものだ。彼女が無事逃げ失せたか定かではない。手ぐらい握っておけば良かった。

さて、その銀座のバーは、閑古鳥が鳴くどころか、満員の盛況であった。そんなに高級でないところがいいらしい。それでも5,6人いる女の子はなるほどなかなかの美人ぞろいだ。服装を値踏みしても、まあいい物を身につけているような気がする。もっとも私としては絹と化繊も区別できぬ朴念仁であり、この点はなはだ心もとない。

会話は、私の娘達に毛の生えた程度の舌足らずである。女性雑誌のゴシップの域を出ない。私達はせっせと彼女らに話題を合わせ、Mと二人、ボケとつっこみの面白くもない漫才を演じるのである。ご馳走になる手前、我々は大いに楽しくなければならないのである。頭と気を遣うから、こうした馳走は大してありがたくはない。

この種のバーには昔はなかった、カラオケがあった。勧められたらやらにゃあならぬ。Mのこの10年ほどの十八番、昭和の時次郎が受ける。まったくの異質さがインパクトだ。さすがにその後の、三波晴夫のチャンチキおけさはしつこかった。
こうした店は、ど演歌は1曲で十分だ。私はいつもの通り、裕次郎でいく。可もなく不可もなく面白くもない。拍手だけがむなしく響く。

最後にと所望され、一つだけ歌える中国の恋歌を熱唱する。発音も完璧だった!
帰りがけ、隣に座っていた21歳の美人が、ひそかに手をにぎりながら、「あなたの歌とても素敵でした。また聞かせて下さい韓国の歌!」と言った。

「カムサムハムニダ(カミさんは見た、と覚えている)、ありがとう」と、私はひきつりながらにっこりと笑ったのである。


2000年05月12日(金)

畏友、ドクター小林と毎日を過ごすことになって4年を数える。
ドクター小林とは、本コンプロネットに「亀の子コンクリート考」を週一回執筆している当社の顧問小林映章だ。齢はただいま70歳である。

氏とは10年ほど前に知り合った。私が当時考えていた新製品の開発協力を仰ぎに、氏の勤務する粘着テープメーカーを訪ねたのが最初であった。このメーカーが日立の直系の由緒ある企業であり、氏は日立の中央研究所から派遣された物理化学の権威であることは後から知ったことだ。

ちょうど半年後、なしのつぶてだったその会社から彼が突然私を訪ねてきた。
あなたの発想は面白いことが分かったから、ぜひ一緒に研究開発をやりたいとの申し入れだった。小躍りして私は、共同開発契約書にサインをしたのだ。

それが今、当社の主力製品のひとつになっている、コンクリートの表面仕上げシートである。私が先方の社長の前で大見得切ったほどの数量は出てはいないが、彼らの新規分野進出の成功例のひとつには挙げられている。
機会が許せば一緒の職場でぜひ働きたいものと、それとなく氏に定年後のことは暗示していた。彼も、私や会社が気に入ってくれていたらしい。

先方の社長からある日電話があった。本人の希望を聞いたら、「ぜひあの会社に行きたいというので」と、丁寧なあっせんである。氏が直接言ってくれればいいのに水臭い、とも思ったが、大日立のしきたりかとありがたく仲介を受けた。氏が現在その会社に自由に出入りでき、OBとしてそれなりの扱いを受けるのを見ると、そういうものなのだ、といまさらながら理解するのである。

爾来4年、月曜日から木曜日まで二人つるんで仕事をしている。金曜日はぜひ勉強のための時間をくれ、ということでお休みだ。昼飯も毎度散歩をかねて二人で遠くのビルの食堂まで歩く。傍目からも二人は親密この上なしと映るらしい。

氏の70歳より、私は一回り若いが、どうも世代感は同じだ。予科練!だった氏と同じはずはないのに!開発だけが人生という共通感であろうか。もっとも私の底の浅い開発と氏のそれを同列に置くのははなはだ失礼なことである。
同じ信州人という一致もある。金儲けより自身の達成感に重きを置く、職業人としての欠点?も同じだ。

この10年の間に二人で50件ほどの特許を出願した。発明のための発明のような無駄な特許もある。が二人の開発パワーはまあまあのものであると自負している。私は氏の博識と推理力に驚嘆し、氏は私の論理を逸脱した鉄砲勘に呆れるのである。天は愚かな私にいい友を与えてくれた。愚妻賢友、否!恐妻賢友、天の配剤巧妙なり。


2000年05月15日(月)

インターネットバブルだという。

経営の中身が薄いのに株価だけが突出するネット企業や、加熱するベンチャーキャピタリズムをそう呼ばずにはいられないのだ。私のように妬みや羨望の裏返しで、あえてバブルと定義したい人も少なくなかろう。つましい生活を余儀なくされる我々庶民は、それがバブルでなかったらまじめに生活なぞやってられない!と言いたい。

私の勤務する会社の元英会話教師が、ベンチャーキャピタルから20憶近くの資金を集めた、などと聞くと、もう羨望など通り越して空恐ろしくなるのである。
いくら日本人は西洋人に弱いからといって、雲を掴むようなビジネスプランに大金を投じることもなかろうにと思う。従来型のビジネスの明日なぞ買えないから、だぶつく金の投資先がないのは分かるが、それにしてもである。

10年前、土地や株の投機バブルで名を馳せた関西系の商社があった。主に鉄鋼を取り扱い、戦後企業であるが、商事、物産の足元近くまで上り詰めた。その社長が、株や通貨や債券を動かし、いわゆる財テクにより企業収益を巨大にしたのである。週刊誌や新聞でも彼は有名人の扱いであった。

彼は私の大学の先輩で、名刺だけは交換したことがある。
学校を出て勤めた会社での上司だったS先輩と私とのいきさつは、もう先刻ご承知の通りだ。実はそのS先輩と財テク社長が肝胆相照らす仲だったのである。S先輩が2つほど下だったようだ。

外資系の会社に転職して5年くらいたってから、S先輩から、娘が京都で結婚式を挙げるから出席をしろ、と電話で言ってきた。相手は医者の息子で本人も医者とのことだ。玉の輿ですね、と皮肉を言って、私ごときが恐れ多いのでは、と面倒なことを逃げようとしたが、彼は頑としてきかない。どうも後輩として、親のS先輩の人となりを持ち上げてほしいようだ。挨拶をしろと言う。相手は医者ばかりだから、頭数で対抗したいのかも知れない。彼は自己顕示のかたまりのような人だった。

このとき、S先輩側の主賓がくだんの財テク社長だった。まだ財テクで名を挙げる前であったが、一応有名経済人だから、S先輩の格もかなり上がったに違いない。こちら側のセカンドスピーチは、同業のある社長で、ウィットに富んだ話しぶりはほれぼれするようであった。三番目の私のスピーチは、今思い出しても冷や汗がでる。S先輩を称えなければとの思いが先行し、彼の修飾に美辞麗句を並べ立て肝心な娘さんを忘れた。誰の結婚式か分からないようなものであった。

財テク社長のスピーチは、陰徳をせよ、との説教講話であった。陰徳の対極にいたS先輩に皮肉を言っているともとれたし、自分自身に語っているようにも思われた。陰徳が財テクに通ずる独特な理論がそのころ構築されていたのかも知れない。

その後、S先輩が順天堂医院で60年の生涯をあっけなく終えたあと、数年のバブル期を経て、財テク社長も舞台を去ることになる。会社が多額の損失を出し、社長の座を追われたのである。週刊誌によると、強気な氏は最後まで意気軒昂であったと言う。

いつも日陰だった私に「陰徳」という言葉だけが残った。


2000年05月16日(火)

14日の母の日は、どこの家庭でもほのぼの劇が演じられたに違いない。

母の日は米国の発明だという。FENラジオ放送でその由来を伝えていたが、早い米語で大意も掴めなかった。私の耳は動脈硬化を起こしている。

妻と二人だけの寂しい生活が始まって1ヶ月ほど経過した。妻は、私にはその寂寞感をもらさぬが、友との電話での会話を聞くともなく聞いていると、手持ち無沙汰をこぼすボヤキが頻繁だ。気丈な妻も、その気丈であるべき理由の源がなくなってしまえば、ただの口うるさいオバはんだ。どうやら攻撃の対象が私一人に絞られたようで、私の身は危ういのである。これに対する私のたまの一喝か白眼無視は、このところその効果よりも空虚さばかりを二人の間に運んでくるのである。

米国にいる娘から、母の日カードを送ったというメールが届く。しかし米国郵政省の怠慢からか当日には間に合わなかった。遠くはなれた、しかも金のない娘からすれば、カードがせい一杯の母へのサービスだろう。

今年4月から相模原で一人暮しを始めた下の娘は、生花を宅急便で送ってきた。
本人も当日、昼から家にやってきて夕飯をつくってくれるという。
料理の本からコピーしたレシピを頼りに、娘はキッチンで格闘の末、テーブルには数品の作品?が並ぶ。妻の因習と独断で調理される日常の料理とはだいぶ趣を異にする。娘の意欲と勇気にまず感心はするのである。味はもうひとつピンと来なかったが、それを口に出すほど私は不人情ではない。うまいうまいとパクパク食らいつくのである。味わう人にまわった妻は複雑な顔だ。

娘も一ヶ月ほどの一人生活で炊事に慣れつつあるようだ。キッチンに立つのが大して苦にならなくなったという。上出来だ。かくして人の妻になるべき修行を重ねるわけだ。結婚するまで親元にいて、カレーライスさえつくれなかったわが妻に較べれば、これは保証書をつけて嫁にやってもよいことではないか!

食事の終わったあと、娘はさらに妻にプレゼントを渡す。華やかで、田舎のオバはんの妻にはとても似合わないと思われるフリルのついた日傘だった。妻はますます陽気になる。

それに憎まれ口をたたきつつ、心中は口惜しかった私にも、娘はプレゼントを用意していた。「初給料をもらったからお父さんにもね!」と、ボールペンだ。
「これ高いのよ、ほんとに高いんだから」と千円か2千円の差を強調する。お金なぞ問題ではないのに.................。

こうして私の家でも、安っぽい?ほのぼのホームドラマが上演されたのである。
私はオッチョコチョイの3枚目の脇役というところか。

さて、あなたの家のホームシアターではどんなドラマが?


2000年05月17日(水)

時々リーダーシップとは何か、と考えることがある。
これは私にそれが皆無なのでは、という懐疑的の思いが頻繁によぎるからである。

一国の首相のように、国民のリーダーと称すべき立場から、小さくは家庭での主導権や友人間の仕切り役までこの言葉の汎用性は高い。だが政治家や市民運動家のように他人を扇情する巧拙にリーダーシップを当てはめる場合は特別だ。国民の人気を得る資質は別の才能であろう。石原東京都知事のやり方を一部政治家の言う、ポピュラリズムの逆手利用、としてアンフェアと取るか、卓越したリーダーシップの発揮と見るか、意見の分かれるところだろう。偉大な政治家は、大衆におもねることなく、自分の理想を貫くこともあった。いつの時代も国民の判断が正しいということでもない。そして、そもそも国民とは一枚岩ではない。

企業におけるリーダーシップとは、自分の部下に対するものがほとんどだ。会社の外部に対するものはあまり意味がない。ちゃんと役職が機能していれば、相手は納得する。部下が上司をないがしろにして外部を説得できることは少ない。

リーダーシップは役職に付帯するものである。課長が全社的な方針の決定に関与はしても、その執行を全面的に指揮するわけではない。こうして見ると、いったいリーダーシップとは何ぞという命題に行きつく。役職の権限は業務規定や服務規定で決められるし、方針は予算や実施計画で固められるのである。いくら組織がフラットになったり、課長がプロジェクトリーダーと代わったところで、責任者のする管理義務は変わらないのである。リーダーシップとはこの管理業務を期待通り、過不足なくやる能力ということであり、それ以上ではないはずだ。

給与に成果給を取り入れるなら、業務が会社からのお仕着せではなく、自分で自由に選べなければフェアでない、という議論がある。ソニーなどの社内応募制の根拠でもある。確かに、自分の好きな仕事であれば良い結果も出せよう。

社内応募制の結果、人気のない上司の下に人が集まらない結果となるらしい。そうすると、リーダーシップと人気が同義となってしまう。すなわち会社ポピュラリズムである。上司の石原慎太郎が出現する可能性がある。

「あなたと仕事がしたい」というのが、上司に対する殺し文句だ。この言葉を言わせるために、石原慎太郎になれない上司は、胃を痛めつつ、無理をして部下のご機嫌取りに精を出すのだ。会社でのリーダーシップとは、実は部下へのごますりに他ならない。孤高の道を行くクールな上司は映画の中にしかいないのだ。かくして見かけ上、面倒見の良い親切な上司が溢れるのである。打算的な部下に勝つには、その上をいく打算でしか上司は対抗できない。

「あなたと仕事がしたい」という、15年前、私と今の会社を創業したN君やM君の殺し文句が今も効いている。私は常に彼らの期待に脅迫され、彼らにゴマを擦リ続けてきた。私のリーダーシップ意識とは、かくもプレッシャーの要因なのである。そして、その任、器にあらずとお役ご免をひたすら待つのである。

PS.「ずっといじめられてきた」というN君、M君の反論があることも、念のため申し添えます。


2000年05月18日(木)

物言えば唇さびし、だろうか?最近の森首相は。
もともと失言癖をもった人と言われていたようだ。首相になってから氏の発言にはマスコミの耳が一段と鋭くなり、最近では番記者との不仲も伝えられていた。

体型からみれば、豪放磊落な人で、だからつい口がすべってしまうと思うのだが、マスコミでは一方で、ノミの心臓だとか、周囲配慮型の自己主張しないタイプだと伝えていた。氏の虚像と実像の区別は国民には分からない。

失言をしない人はいまい。私なぞ日にいくつか為し、夜、布団に入ってから自分の愚かさに切歯扼腕するのである。大抵は、ウケをねらって尖鋭果敢な言葉使いをしてしまうか、早とちりによる独断的な言葉が多い。格好をつけて言えば、言葉を発する前の脳内の思想熟成が不足した短慮のせいだろう。簡単に言えばオッチョコチョイだ。

まあ私の場合は、公的地位がチョー軽で吹けば飛ぶよなものだからウカツだったで済む。人は私に高邁な思想も、上品な言葉使いも、高い知性も求めてはいない。
ただ社内の人間だけが私に、はなから欠けている金儲けの才と、労働分配率の大盤振る舞いを望んでいるだけなのである。したがって度々の失言も笑って済ましてもらえるのである。しかし、労働分配率が低いときはそれでは済まないかもしれない。金の恨みはすこしの寛容さもないのである。

神の国日本と言った首相に、公明党がその真意を質したいと言ったのは理解できるが滑稽だ。仏の国日本に神がいてくれては困るのは自明である。真意を問われる首相は一体どう答えるのだろうか?信条を曲げて答えるのもリーダーとしての正直さを疑われることになる。もっとも信条があれば、の話であるが。鳩首会議で、連立する両党の立場を失わない決着がひねり出されのであろうか。

考えてみれば、首相の立場ほど失言をしないよう細心の注意を払わねばならないものはない。あちら立てればこちらが立たずの輻輳の最高峰だ。まじめな小渕さんが生命を縮めたのは無理もないのであろう。いつもテンパっていた橋本さんの姿勢はこの圧力に負けまいとする精一杯の強がりだったのかも。その実、結構疲れていたのかもしれない。

私の場合、脳の中身がお粗末であることを鑑みると、失言をしないための対策は日々無言で生活するに尽きる。最少量の言葉で意思疎通を図るよう努めることだ。
かくして私は日がな一日パソコンに向かう。その間こうして駄文を記すのである。

ところが、このコラムで実は毎日失言を重ねているのではないか、と最近気がついた。そして、これは社内の人間ではなく、良く存知あげないあなたに対してであった。ということは、私は実に不遜なことをしているのである!


2000年05月19日(金)

規制緩和とか地方分権が、閉塞した日本のシステムの立て直しの特効薬だと言う。

今までのシステムを頼りに生きてきた企業や組織そして個人から見れば、すがるものの大幅な改変は、まさに生活権の侵害になりかねない。我々は今、総論賛成各論反対の自己矛盾の真っ只中にいるのである。なぜならこうして何とか暮らせている私達は、借金を積み上げる国家という親の温かい庇護をほぼ平等に受けているからである。

先日、米国にいる娘が原因不明の急病で救急車を呼んだ。運良く大事に至らなかったのは不幸中の幸いということだろう。私の心臓も昔ほどタフではないので、今後、どうか心臓に障るようなショッキングな事件だけは起こさないでほしい、と「神の国」の神ならぬ神に祈った。

救急車とパトカーと消防車と計3台が娘のいるアパートに駆けつけたそうだ。その費用〆て2000ドルの請求が来たという。アルバイトをしながらの学生生活を営む娘にとって、この額は大きい。夏休みに一年ぶりに帰国するのも逡巡する娘の思いを、私にメールで伝えてきた。そのいじらしい心に、寂しがり屋の親は、心配しないで帰っておいで、とメールしたのである。

日本では救急車を呼んでも無料であるという。地方あまねくそうであるらしい。
米国の有料である理由は分からぬが、むやみな乱用を避けるためと、公的役割の考え方の相違にあるのではないだろうか。規制緩和は一面、私的負担の拡大を意味することは自明だ。税金で救急車を呼ぶか、個人で負担するかの違いで、いずれにしてもその費用はかかるのである。

考えてみれば、米国で税金をろくに払ってもいない娘が、かの国の便益だけを享受するのは、モンロー主義者ならずとも虫のいい話と考えられないこともない。
多民族国家の、福祉をはじめとする公的負担については、日本のように国民一枚岩として扱うわけにいかないから複雑であろう。

先日、友人の米国人と企業の給与以外の特典(ベネフィット)について日米比較をしたとき、一番の違いは国家の関与であることが理解できた。厚生年金や保険など、大企業といえども日本では国の管理が基本なのである。

こうした手厚い?国家の面倒見の結果、1300兆円の資産を持つに至った個人に対し、自分のことは自分でやれ、という首記の主張は妥当であるのか?逆に国がやりつづけるならば、その資産を吐き出せ(例えば消費税で)というのはさらに妥当であるのだろうか?いずれにしても金は出さなければならないが。

娘の痛い2000ドルが、ノンポリの私に、国家の役割とは?という難題を想起させた。
かくして娘は高い税金!を払わねばならない。最近の円安は恨めしいのである。


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