最近、人生は許すことのくりかえしなのではないかと思う。
他人は自分の思い通りにはならない。それどころか、時には自分をいじめるために存在すると感じられることさえある。さらに、自分さえときどき自分を裏切る。
自分は思うほどデキないし、そんなに強い心をもってはいない。
結局はそれらを許すしかないのである。不本意にそうすることは自己のプライドが傷つくことにもなるから、「諦観」という思想の言葉で高級化しようとするのである。まあ簡単に言えば、あきらめこそが人生よ、であろうか。
私は毎朝起きるとき、今日も一日許しまくろうと誓うのである。私を傷つけ、ないがしろにし、踏みつける諸君を許そうと誓うのだ。そして眠りにつくとき、そうした諸君を許せず、腹を立てつづけた自分に気がつき、自分自身が許せない感情に囚われる。これは小さくないストレスである。
私が学校を卒業して入った会社で、たまたまいた学校の先輩に少なからず目をかけられた。あえて言えば、企画マンとして重宝されたようだ。
10年ほどでその会社を辞めてからも、先輩との交遊が続き、新規事業の立ち上げには、新たな勤め先をないがしろにして手伝ったのである。この事業の立ち上げの成功も一助になって、先輩は昇進を果たしたのである。
新規事業は、タネを生み出した人より、実は、育てる人の方がたいへんなことが多い。そして育てるためには、たくさんの人が関わるから個人の功績は埋没し勝ちだ。都合上、プロジェクトのリーダーが功績を代表する。
次の新しいタネを私が持っていったとき、先輩は、今度は自分がタネ元になろうとしたようだ。私の企画を聞いたあと、社内に、私に対する緘口令を敷いて独自に進め出した。事情を知らないある人がうっかり漏らした言から、私はすべてを知った。先行して下準備を進めていた私は、協力先に謝りに回る。
爾来、先輩とは絶交状態に入る。今までの蜜月からこんな状態では、周囲に格好がつかんよ、と先輩から時々泣きが入る。が、私は頑固だ。最初の新規事業はもう既に立派な柱となり、未だ私も関わっている。時々会社に顔を出しても私の態度はそっけない。今度の私の!新たな企画も、普及のための協会まででき立派に立ち上がっている。私の手の届かないところで!腹が立つのである。
3年後に、見かねた共通の人生の大先輩が、すべてを水に流す手打ち式を設定した。しかし、割烹で酒を飲みながら両者とも自分の正当性を並び立てていた。
それから以後、この件には触れずに付き合いは続けたのである。
その先輩が60歳で現役の社長のまま亡くなった。順天堂医院に死の数日前彼を見舞う。その頃私は、外資の合弁企業を辞めるか否かで悩んでいた。
「お前には世話になった。今度はオレが面倒をみる。もう辞めろ!」と死ぬ気配を見せず決然と言った。私の心労を見ていられないという。
死後、その会社から、私と仲間が起こした会社に2年の間毎月、当時としてはかなりの額が顧問料として振り込まれたのである。
先輩は、私をないがしろにした自分自身を最後まで許せなかったにちがいない。
そして、私は、彼をそう思わせてしまった私の狭量をいまでも許せない。かくして私は、他人を許さないほどの権威があるエライ人間ではないことを、毎朝自分に言い聞かせるのである。
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