株式会社浅見製作所
株式会社浅見製作所
■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/12/13〜1999/12/20
1999年12月[ /13日 /14日 /15日 /16日 /17日 /20日 ]

1999年12月13日(月)

日本の経済の再生には、ベンチャー企業の興隆が不可欠という説?がある。
そのためベンチャーキャピタルなどファイナンス面の充実や、税制面などを含む法整備、さらにはコンサルティングなどの経営指導と、多くの方策が採られつつある。これはこれで異論をはさむ筋合いはない。
一面これは、サラリーマンよ独立せよともいっているわけで、起業の薦めでもある。ところが新技術の多くは個人ではなく企業自身が持っているし、企業化しやすさから言ったら、ヒトモノカネと情報の調達の点で難しく、失敗したときの寛容さも企業内の場合の比ではない。
よく大企業ではできないことを独立してというが、多くは苦難の道である。大胆に言ってしまえば、サラリーマンは何も独立してやる必要がなく、今のままベストを尽くせばいいのだと私は思う。自己実現は既成企業の変革で可能なのだ。
より多くの金銭や名誉を求めて、野心にあふれる人物が、それこそ冒険的にベンチャーを起こす。戦後、そうした人物が次々と事業を起こし、発展させてきた。
ソニー、ホンダ、セコムなど数え上げればきりがない。彼らのベンチャースピリットはインキュベイト(培養)されたものではなく、野から生まれたものだ。いつの時代にも、育てなくても冒険家はいるのである。
とくに技術もなく、新規なビジネス手法もなく、大それた野心もなく、の独立は厄介である。ただ管理されたサラリーマン生活がいやだからというような。
そうした非ベンチャー独立に私がいる。
愚かにも、幻想を抱いたサラリーマン6人ほどが私の後追いをした。それぞれの趣旨をもって企業を起こしたのである。これも何かの縁と、そうした後輩諸氏に、多少の出資と経理事務の補助を申し出て、現在に至っている。
自社を含めて計7社は、大した技術もなく、卓抜した販売力を持っているわけでもない。経費や人件費を削って価格で勝負したり、痒いところに手が届く献身的なサービスで生きているのである。この6人の社長たちは、会社組織の息苦しさから逃れた代わりに、商売の複雑な仕組みとヒエラルキーに翻弄されるのである。
かくしてわれわれグループ各社は零細企業として雑草のように生きている。
優勝劣敗が世の習いなら、企業の場合、それは大小に関係するのである。中小企業は弱者である。日本が変わるとき、その犠牲は間違いなく中小企業であろう。
せめてそれが我々のグループから出ないことを願うのみだ。


1999年12月14日(火)

不景気になると、相手の無知や不安につけ込んだ詐欺まがいの商法が横行する。
まともな商いをしていては売れないからだ。これは上質なセールストークと似て非なるものだが、ときどきそのアイデアには感心することがある。
隣家の老人が訪ねてきた。家の壁を塗り替えるのだという。たしか3年前にやったばかりではないかと尋ねると、老人は眉をひそめて、あれはひどい目にあいましたと言う。わけを聞くと、ペンキを10倍に薄めてるし、手を抜いて塗り残しの個所があったのですよ、このままでは2、3年しかもたないそうです、と慨嘆した。先日売り込みに来た、最近テレビ宣伝が盛んな大手ペンキ屋のセールスマンが教えてくれたそうだ。すぐ塗り直した方がいいと言っているらしい。
もうすっかり信用している老人にいまさらと思い、それは良かったですねと言うしかなかった。
次の日から始まった塗装工事は老職人二人のノンビリ仕事だった。足場も作らず、ハシゴと脚立の半端仕事だ。仮設工事も端折って、養生のシートも使わない簡単作業だ。近くの親しいホームセンターの親父に聞くと、この有名会社の塗装は結構いい値なのだそうだ。テレビ宣伝費に金を使っているという。職人はフランチャイズとは名ばかりの、手間請けのアルバイトを使うともけなしていた。
隣の二人は、素人目に見てもいい仕事をしてるとは思えない。
この会社の営業マンが私の家にもきて、妻を口説いているらしい。ペンキにひび割れがあるので早くしないと雨漏りがしてくるよと脅かすらしい。ヒビの入らないセラミック塗装とやらを盛んに宣伝するのだそうだ。妻は私のペンキ材料の講釈より、セールスマンの説明を信じているようで、うちもやろうかしらなどと言う。隣の老人攻略法に腹を立てている私は、雨漏りしないことは私が保証するからしばし待てと防戦一方だ。
結局、ひび割れを自分でコーキングする羽目になり、半日かかって、表から見える個所に接着剤を塗りたくった。高くて足がすくむわ、うまくひびに詰まらないわ、足腰が痛くなるわの散々だった。もう職人は無理だなとつくづく思った。
見ていた妻が、ついでに家の壁全部塗ったら?と言い出したのは、とんだやぶへびだ。隣にきている塗装屋に頼んじゃおうかと瞬間思った。凡人が道義を通す?ことは難しいことなのだ。


1999年12月15日(水)

一般に老化は、眼、足、アレ!にくるという俗説がある。いちいち心からうなずける昨今だ。「老人力」などと老いを擁護した本もあったが、本当のところ、滅び行くものの哀歓を払拭するほどパンチがあったとは思えない。老いをそのまま受け止めなさいという諦観の安らぎを確認しただけだったのような気がする。
頭のてっぺんの地肌を覆う髪の毛がなくなってきたときも、私は平静だった。合わせ鏡でもしない限り、ふだんは見えないから気にならない。もともと若いころから、生来の広い額と加齢による前髪の後退とが分別つかずまぎらわしかった。
ハゲに対しての耐性が十分できていたといえよう。
散髪は嫌いで3ヶ月に1度だ。最近行きつけの床屋の若だんなとやっとなじんだ。
時々、若奥さんにあたるとなぜか落ち着かない。そしてきまって仕上がりが気に入らないのだ。色っぽい美人だから女好き!の私は寛容であってもいいはずなのに。
妻に、髪の毛が伸びていると余計ハゲが目立つのよね、と皮肉をいわれ、仕方なく散髪にいく。大胆に短くカットすることにした。「慎太郎刈りにして!」と言っても通じない。「スポーツ刈り」、「職人刈り」と言い直してやっとわかったらしい。
現東京都知事の石原慎太郎氏の若いころの髪型が、私の高校時代はやったものだ。弟の裕チャンも橋幸夫もしていた。そして私もしていた!太陽族が喧伝された時代があった。
中年(老年?)のスポーツ刈りは怪しげである。職人とか得体の知れない自由業が多い、その道!の人もいるがいまパンチパーマだろう。永六輔タイプもあるが彼だって自由業だ。私の職業はどう見られるだろうか?とよくよく鏡を見ていたら、「うしろ、あまり目立たなくなりましたよ」と、若奥さんの声。そんなもの気にしてませんよ、と言おうと思ったが、言い訳するようでやめた。
家に帰って妻に見せたら、りっぱな職人さんになったわね、何か仕事をしてもらおうかしら、とせせら笑った。
次の日冷え込み、頭がさびしくなったせいか、さっそく風邪をひいた。


1999年12月16日(木)

インターネットによる株の売買が日本でもかなり増えているらしい。いろいろなところがネット証券会社を設立している。それに合わせたようにずいぶん売買の手数料も下がった。昔、いたずらにいくつかの株を少しづつ持ったことがある。儲かったのか損をしたのか忘れたが、証券会社の営業員を通す煩わしさがあり、いつのまにか遠ざかってしまった。
私の親しい友人が思いがけなく一部上場企業の社長になったので、時折その会社の株価を新聞で見ている。彼が社長になってからは億劫になり、彼を訪ねもしない。
一二度懐かしげに、夕方でも遊びに来なよ、と彼から電話がきたが、どういうわけか気乗りがしない。別に嫉妬しているわけではなく、まったくその逆だが、どうも遠慮がある。今度ゆっくり心理分析でもしてみよう。
友情のしるしに内緒で彼の会社の株を買ってやろうとふと思った。この会社の株はもともと仕手株で株価が乱高下する。2年ほど前は5000円を越えたことがあった。いま220円ほどで手ごろだ。しかしいま華やかな通信や電気関連でもないしもう一段の底があるかも知れない。どちらかといえば建設関連のさえない株である。
彼に今期の見通しや新規事業のことなど聞くとインサイダー取引になるのかなと思いつつ、彼に電話する。新社長の苦労話と自慢話を十分聞いたあと、それにしても株が安いではないかと誘いをかける。市場があなたを評価していないと憎まれ口もたたく。彼は困ったように誰も買ってくれないんだよな、と弱気だ。市場での商いが極端に少ないようだ。
電話を終わったあとで、彼のために買わねばと私は決断した。
それからあるネット証券会社に申込みをし、10日後、準備万端整った。へそくり全財産(恥ずかしいほど)を投じ、その日の一番高値!の250円で買う。タイミングが難しい。
次の日一気に30円下がり、今日現在210円となり一段安だ。買う日を間違えたらしい。
今のところ、ネット株売買の試行料は高くついているが、隠してあるささやかな友情!の自己満足で心は少し温かい。素人の株はこんなところだろう。


1999年12月17日(金)

私は隠れ(でもないか!)演歌ファンである。ダサいと言われようが、みんな同じパターンと言われようが、演歌チャンチャカチャンが好きである。演歌の嗜好度と教養は反比例するといわれるから、私の頭の程度は推して知るべしである。
先日のNHK歌謡番組も目を輝かして(妻の形容である)見た。常連の五木ひろしや小林幸子は相変わらずうまい。鳥羽一郎もいい持ち味だ。コロッケが出てきて、形態(顔面)模写で笑わしてくれたが、これも歌と歌手がイメージとして、しっかり我々に植え込まれているから笑えるのだ。演歌歌手の庶民(ジジババ!)への浸透度はすごい。
山形の農家のおじさんが渋い着物で出てきた。さくらんぼを作っているという。
話すのもなんとなく土くさい。しかしなんと彼は歌手だった。いまカラオケでヒットしているのだと紹介された。「孫」という歌である。そう言えば着物の前に孫の字が染め上げてある。
ほのぼのとしたいい歌だ。からだに似合わず優しい声だ。じいちゃんはおまえが可愛くて仕方がない、このもみじのような手、赤いほっぺ、若いころ忙しくておまえの父親にやさしくしてやれなかったから、代わりにおまえにしてあげるよ、という内容の歌だ。
以前ヒットした、「娘よ」という歌があったが、今度はその世代も老けたから、「孫よ」というわけだ。明らかにシニア世代をターゲットにしている。シニアマーケティングの典型みたいな傑作!だと思う。仕掛けたひとは目端がきいている。
若い人はCD,MDを購入するから、明確な音楽商品のマーケットが存在するが、シニア世代は買わない。カラオケで歌うだけである。演歌関係者は食べていけないのだろうなと思っていた最近、友が教えてくれた。
音楽著作権協会の集めるカラオケ使用料が大きいのだそうだ。教会では250人もの人を抱え、夜の盛り場のカラオケに目を光らせている。その収入が 700億近くあるらしい。最近若い世代のアーティストが、このシステム(どんな?)は演歌サイドに一方的に有利であるとし謀反を起こしているという。
その友はさらに、演歌は古典芸能化しているという。ちょうど長唄か清元のように。そのうち保存会でもできるかも知れないよとも言う。そんなばかな!
ところで、わが娘たちよ、「孫」の歌いつ歌えるの?


1999年12月20日(月)

忘年会たけなわの昨日今日である。私の勤務する会社も先週末やっと終わった。
やっとというのは、そうした会社の集まりには、立場上冒頭の挨拶をせねばならず、結構これが気が重いことであるからだ。こうした駄文を書き連ねることは、血の通わないコンピューターのモニターを見ているだけの孤独な作業であるから、身構える必要もない。私のこの過敏体質は、人口密度の薄い田舎育ちにあるとにらんでいるが、ただ小心なだけよ、と妻は切り捨てる。
社員の結婚式(数が少ないのでめったにないが)や、何かのお祝い事で挨拶を依頼されたとき、当日まで憂鬱な日を過ごすことになる。うまくやる必要も、いや、やれる能力もないのだから、そのままありきたりのパターンで話せばいいのだ、と言い聞かせるのだが、気が軽くなることはない。
それでもいいネタがひらめくこともあって、これならと自信を持って望むときもまれにあるが、大抵は筋書き通り運ばず、口の方があらぬ方向へ走ってしまい、脳みそが混乱をきたすのである。口と脳とは別の神経で結ばれていることを思い知るばかりである。
私の友人にスピーチの上手な人は少ないが、それでもみんな私ほどナーバスではない。気楽にやっているように見える。大学教授の友人は、さすがに授業をこなしているだけあってうまくまとめる。それでも講師、助教授時代はお義理にも上手とは言えなかった。やはり数をこなすことであろうか。
私のように、挨拶があるなら行かないよと言っている横着者には、鍛える機会はますます減り、いよいよスピーチが下手になるというわけだ。
何年か前、妻と二人、親しい会社の10周年記念パーティに温泉に招待された。
事前に先方の社長から挨拶をと言われており、はじめから気が重い旅だった。
それにひきかえ妻は、ついでに近くの観光名所を巡ると大張り切りだった。
私のしまらないスピーチの間、妻は自分の身が消えてなくなってほしいと思ったそうだ。そんなにひどかったのか、と尋ねたら、「あなたのまわりくどく言っていること、30秒で済むわ」であった。
次の朝、顔見知りの、先方の社長の奥さんが、「いつもお話がわかりやすくてためになります。」とお世辞(皮肉?)を言ってくれたとき、今度は私が消えてなくなりたいと思った。


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