■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/10/21~1999/10/29
1999年10月[ /21日 /22日 /25日 /26日 /27日 /28日 /29日 ]

1999年10月21日(木)

演歌の地盤沈下がひどい。私はさびしい。
テレビで歌謡曲番組があるのはNHKのみだ。CDやテープで演歌コーナーがない音楽店が増えている。需要と供給の関係といわれれば仕方がない。がファンが少ないわけではないのだ。膨大な潜在客がいる、と言いたいが、レコード会社から見れば、もはや顧客ターゲットではない。一歌手のCDを600万枚も購入するパワーは、演歌愛好層には存在しないとされる。
最近は、カラオケスナックでも、若い人と一緒だと演歌を唄うのは気がひける。
無理をして、いまの歌を唄っても、若い人に迎合するようで卑屈だ。だいたい字余りで、インチキ英語が合いの手のように入り、甘ったれた歌詞は気恥ずかしいし、メロディーも振幅だけ激しいお経のような単調な曲ばかりだ。しかもノドが詰まるようなキーばかり。唄っているプロ歌手も、うまいのかまずいのか判断に迷う歌ばかりである。
演歌は歌詞が基本と言われる。すなわち歌詩、詩なのである。詩として完成度が高いものでなければならない。これは私が言っているのではなく、わが心の師、西沢爽さんの言です。悪しからず! 曲は詩に合わせてつくる。詩の心が最高に伝わるようなメロディーとリズムを組み合わせるのである。
ひとの心はさまざまであるから、いろいろな演歌ができる。はずだ!ところが、演歌は画一化してしまった。安っぽいセンチメントにパターン化してしまった。
国民は喜びも悲しみも、そして価値観まで同じになってしまった。感情移入するストーリーがほとんど同じパターンだ。そして詩人、作詞家がいなくなった。
演歌を流行(はやり)歌と考えれば、ひとつの寿命の終焉と考えられるが、艶歌、怨歌が日本人の庶民の心の歌とみれば、多少、時代の修正を受けるが、ずっと継続するとの言を信ずる。ジャズ、ブルース、シャンソン、カンツオーネのような民族性と継続の遺伝子を内蔵した品格のものなのだ。
演歌愛好の諸君、胸をはって唄おう国民の歌を。伝統の歌を。
そして称えよう美空ひばりを、石原裕次郎(!)を!


1999年10月22日(金)

英語がうまくなるには、英語を聞いて聞いて聞きまくるのが一番だそうだ。
先日のNHKテレビで「日本人はなぜ英語がうまくならないのか」を見た。基本的に日本人の英語教育は読むことを主眼としてきた。文法や読解力を主とした勉強を中学から大学2年まで続けているのだ。これは昔から、先進国の文化を書物より摂取してきた伝統に因るのだろう。
会話やスピーチによるコミュニケーションが大切になった現代において、口頭英語が要求されるのは当然である。いくら難しい文法や文学的表現を知っていても、会話ひとつできないという片輪ではダメということだ。
テレビによると、日本語で考えるときと、英語のときは脳の働く場所が違うそうだ。英語のできないひとは、日本語の場所で英語を考えているらしい。したがって、脳のなかに英語の場所をつくらなければ、英語がうまくならないというわけだ。これには英語を聞きまくるしか方法がない。さらに耳から入った英語に、あとから文法の知識を与えて、より完全にする作業も忘れてはならないという。
脳に英語スペースをつくる作業は、若いほど容易であるのは自明だ。年をとって動脈硬化や梗塞がすすんだ脳にできるのは、英語スペースより動脈瘤や静脈瘤くらいなものだろう。寿命を縮めるだけだと思うがどうだろう?
私も老後の楽しみにそのうち英会話を本格的に、と考えていたが、この番組を見て考えてしまった。結局もう遅いのだ。日本語の場所で英語を話すしかないのだ。
その場所で、単語をゆっくり翻訳しつつ、記憶している文型に入れ込むしかない。
だから結局、私の英語は上達しないということになる。
同じ文字を使う中国語はどうだろう?日本語の場所か、英語の場所か、それともほかの場所か?もし日本語の場所ならば、老後の楽しみは中国語で!
一緒に見ていた妻に話したら、「それよりボケて徘徊老人になっても困らないように、住所だけは言える部分だけ鍛えたら」とせせら笑うのであった。果たしてそんなことできるのか?


1999年10月25日(月)

私が外から帰ってくると、玄関先に茶色の大きな犬がいた。
大分くたびれた感じの老犬で覇気がない。しかし首輪から判断すると、どちらかの飼い犬だ。居間に入る私にどういうわけか付いてきた。おかしな犬だなと思いつつも、追い払うこともせず放っておいた。そのうち部屋の片隅でうずくまり、居眠りを始めたようだ。
ぴったり1時間後、その老犬は目を覚まし、ゆっくりと部屋を出て、いずこともなく消えていった。
次の日も同じ時刻に老犬はやってきた。そして同じようにぴったり1時間昼寝をすると、またいずこともなく消えていった。
ちょうど1週間それが続いたある日、私にふといたずら心が起きた。「おたくの犬を当方で毎日1時間お預かりしています。ご心配なきように」と書いて、老犬の首につけたのだ。飼い犬を放置しているルーズさに多少批難の意をこめて。
次の日、また老犬がやってきた。見ると首輪に手紙らしきものをくくりつけてある。返事をくれたようだ。
「この犬は10匹の子持ちです。子供の世話に疲れています。あなたの家の1時間の居眠りでそれを取り返しているようです。どうか安らかな眠りを与えてください」と書かれていた..............。 ジ・エンド
この話はもちろん日本の話ではない。玄関から居間に靴を脱がずに行ける家などないし、外で飼われている犬は家に入ることはしないはずだ。以前ふれたチキンスープという米国版「ちょっといい本当の話」のひとつのインチキ意訳だ。この話はやさしい英語で書かれていたので挑戦してみた。日本語にしてみたらどんな感じになるか興味があったのだが...........。この話のどこが面白いのだろう、どんな意味が隠され、何を暗示しているのだろう、などと考えないでいただきたい。ただ私の英文和訳の練習につきあっただけですから!ご容赦を。


1999年10月26日(火)

久しぶりに近くの川沿いを散歩した。秋風の爽やかな砂利道をゆっくり歩くと気持ちがいい。ススキの穂の揺らめきは、移ろいやすい自然の中の、はかない人の営みを暗示するようで無常感がある。秋は人を詩人にするというが、たしかに心地よい寂寞さはあるのだろう。
周りを見ると、同じように遊歩道を歩くひま人(!)が多いのに驚いた。
私のようにただ漫然と、秋のフィーリングを味わいに漂い歩くという人種がいるかと思うと、スウェットスーツに身を固めた健康ウォーキングが目的の人がいる。
後者が圧倒的だ。ジョギングは危険が伴うが、ウォーキングは病気予防と運動不足解消に最高との信仰(?)が効いているからだろう。それにしても多い。
足がヨロヨロし、体も逆S字のように曲がりくねった、いかにもさっきまで床に伏せっていたようなお年寄りが、付き添いの手に牽かれながら鬼気せまる表情で歩いているのを見たときは、複雑な思いがした。ウォーキング神話もここまできたかと感じると同時に、生への執着、執念のすごさに圧倒された。
よく妻と老後の話をする。私はきまって、「おれは長生きしないから、老後はない。」、妻は「一人になったら、養老院で友達と仲良くやるわ。」がいつも結論だ。そしてお互い被介護老人にだけはなりたくない、子供のお荷物だけにはなりたくない、でうなずき合うのだ。
しかし、人のこころの奥深さは当人がいちばん気づいていないものだ。否、気づいていて口に出せないのかもしれない。死への恐怖や、生への執着、自己所有の欲望など、言葉に表しきれないものだ。私と妻の前にいかなる運命が待ち受けているのか神のみぞ知るだ。いろいろの長生き術のほか、各地のポックリ寺が流行るのが分かる年齢になった。米国では老人カウンセリングが盛んだ。
明日、妻の父母が家に来る。85歳と77歳でかくしゃくたるものだ。まもなく訪れるだろう人生の最後の修羅場を予感しつつ、今年も一泊の温泉旅行に連れて行く。
秋風や今年もできたぜ親孝行! 自己満足ムコ殿。


1999年10月27日(水)

家の洗濯機の調子が悪い。洗い方を設定するマイコンが狂ってきたのか、勝手に洗い翼の回転を変える。つきっきりでスィッチを押し続けなければならない。毎朝大騒ぎだ。念のために申し添えるが、毎日の洗濯を実行しているのは妻で、私ではない。そこまで妻の横暴を許すほど落ちぶれてはいない(!)。
毎朝のドタバタに業を煮やし、とうとう電気屋を呼ぶことにした。ところがどうだろう、今日来るというのに、今朝のマイコンはそれを見越したように正常に機能するのだ。ひとつの破綻もない! 妻は、電気屋さんを断るわ、などという。
人間をばかにしているとしか思えない。
本ネットのコラムニスト「夢追人」が、現代技術のブラックボックス化について言及していたが、まさにわれわれは分かりにくいテクノロジーを頼りに生きている。車はもはやマイコンで制御されるハイテクの塊になり、ボンネットを開け、メカの伝達機構を楽しみつつ注油するなど遠い過去のことになった。携帯電話なぞ分解して掃除しようなどという人はいまい。コンピュータはもちろんブラックボックスの権化だ。組み立てたなどと自慢気に話すひともいるが、小さなブラックボックスの塊をただ積み重ねたようなものだ。よくわからない暗黒の塊を信じなければ現代は生きていけない。2000年問題は、その深くて暗い闇を我々の前に提示したのではないのか。正月を前に、買いだめに走るだろう我々に、 ICの神がひとつの試練をお与えになったのだ。
コンクリート崩落に揺れるJR陣の戦いの武器はハンマーである。欠陥個所の発見には、ハンマーによる打音検査が一番有効なのだ。このハイテク検査機器時代に奇妙な感じもするが、事実だそうだ。そういえば戦前戦後と国鉄マンだった父から、大切にしていた細くて長い小さな頭のついたハンマーを見せられた記憶がある。これで車両を片端から叩きまわるのだそうだ。叩いて調べることはこの50年間変わっていない。どうやらブラックボックスは叩けばどうにかなるようだ。洗濯機も、前日、妻がつきっきりで叩き続けたのが効いたらしい。明日だめなら今度はハンマーで(!)


1999年10月28日(木)

流行を追わなくなって久しい。
ファッションはとっくの昔に、わが胴長、猫背の体型を考えてあきらめた。一時期ヤっちゃんスタイルのスポーツ刈り、毛糸の腹巻なんて東映やくざ時代もあったが、若気の至りだ。現場そだちはそんな格好をしていた時代があった。
東京の虎ノ門や赤坂に通ったころ、ネクタイのはやりを気にしたこともあったが、やはり、私は洒落気よりも食い気だった。そのころから、着るもの、身につけるものへの気の回しが億劫になった。そして妻の忠告(というより指示)に一言の反論もしないファッションのノンポリになった。衣服はボロ穴さえ開いていなければ何でも結構という戦後焼け跡派だ。
いま読書も、売れている本はあまり読まない。中身に批判的という高尚な理由ではなくて、ただ面白くなさそうだからだ。小説はたまに読むが、徹底して無名小説家ねらいだ。知らない作家の知らないタイトルの小説が面白かったりすると、2、3日はハッピーな気分だ。これとて少読家の私にはこの喜びはめったにめぐりあえない。いずれにしてもベストセラーに縁のない時代遅れの時代錯誤だ。
私はこれでも商品開発を生業としているから、この分野の情報はさぞかしと思われるかもしれないが、これとて大したことはないのだ。40代くらいまでは、毎日、内外の紙誌、特許広報など手当たりしだい読破したものだが、最近はお粗末だ。「コンクリート工学」も「セメントコンクリート」も目次だけで済ませ、米国の「コンクリートプロダクト」もページの風を送るだけの体たらくだ。特許広報も最近、目次が付いたのでそれだけで済ます。セメント新聞やブロック通信もさっと一覧のみ。残りの紙誌や新聞は開きもしない。強いて挙げれば、「選択」という雑誌と日経産業新聞が愛読と言ってもいいか。
何か面白い商品が棚から落ちてこないかと毎日待っている。ファドから置いてかれつつある私に、発明の神がなにか落としてくれないものかと待っている。
後ろから、「一所懸命走らないものにヤルもんか!」とのささやきも聞こえる。
「怠けものに明日はない」との信仰(!)をぜひとも破りたいものだ。


1999年10月29日(金)

コンクリート工学協会によるコンクリート技士・主任技士試験が迫ってきた。
当初、これがいずれ国家資格になるだろうとの噂もあったが、その気配もないまま今日に至っている。この資格はコンクリートに関する知識の程度を示すものである。そしてコンクリートの技術習得のひとつの指針ともなっている。資格に伴う権利、義務などお上からいただける特権はない。もちろん法的な裏付けもない。
この資格の上等なものが博士号だと言ったら、ドクター諸君は怒るだろう。
博士号は博士課程のある大学から授与される。本来ならどこの大学で授与されたものか明記すべきものだ。情実やコネも少しばかりは利くとの噂もあるが、定かではない。学位をとるほどの才能もお金もなかった私にはほど遠いタイトルだ。
私は友人の学位授与式に出席したことがある。日本一のマンモス大学であるそこは、年数回に分けて式典を催している。とにかくいっぱい博士が誕生するのだ。
ミニスカートの若い女性のコースドクターから、苦節?十年の子連れドクターまでいろいろだ。社会人の論文ドクターはたいへんのようで、執念のかたまりのような人でなければ難しい。
博士号はひとつの分野を深めて、その知的業績が評価しうるものとされた場合に得るものである。一方、技士・主任技士は知識の広汎さを評価されるものである。
もちろん基礎知識量、論理的思考深度は博士はやはり博士である。がしかし、両者とも言うなれば教養、知識、理解のレベルを表す称号に過ぎないのではないのか。下世話に言えば、知識にハクをつけただけのようなものだ。
建築士、土木施工管理技士、技術士など建設業界に国家資格が多い。それらは法で定められた権利義務に則る。コンクリート技士資格はこれら国家資格となじみにくいのも事実だろう。あまりにも基幹材料であり過ぎ、範囲も広汎で、関連資格との重複・交錯が避け難い。ポジショニングがむずかしい。
JRのコンクリート崩落事故に端を発したコンクリート不信は、騒ぎ過ぎの思いもあるが、品質保証のシステムに疑問を投げかけた。当時の関係者の中に、多くの博士やコンクリート技士がいたはずなのに、彼らは組織になかに埋没して何も言えなかったというのだろうか?いま、組織が全てすべてギャランティする時代から、技術者個人の責任と権限が問われる時代に変わりつつあるような気がする。
私はコンクリート技士・主任技士が国家資格になることを主張したい。個人として責任をもつために。


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