■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/08/23~1999/08/31
1999年08月[ /23日 /24日 /25日 /26日 /27日 /30日 /31日 ]

1999年08月23日(月)

コンクリートの品質を示す代表は強度であろう。
圧縮、引張り、曲げ、せん断などなどいろいろあるが、コンクリートは圧縮強度に尽きよう。コンクリート技術者はこの数字に囚われて人生を過ごす。
数字が大きければ、過剰品質かと悩み、もちろん数字が低ければ不良を恐れる。
げに恐ろしきは水和反応の気まぐれか!
若い頃、膨張材を使ったヒューム管の開発にかなりのエネルギーを費やしたことがある。いわゆるケミカルプレストレスを導入し、管の耐荷力を上げる方法だ。
通常のプレストレスコンクリートは、高張力の鉄筋を引張ったまま拘束することにより、コンクリートに圧縮応力を発生させておく。外力がかかった時、その分相殺されるから見かけ上は耐荷力が増す理屈だ。
ケミカルプレストレス方式は、膨張するコンクリートが鋼材を同時に引張り、そのまま硬化することによりコンクリートに圧縮応力を残しておく。これがとにかく微妙であった。コンクリートはあらゆる方向に自由膨張するものだから、鉄筋でうまく拘束しないとヒビワレするのだ。膨張量も条件によって異なるから、導入されるプレストレス量もばらつきがある。従って製品の耐荷力もばらつく。
何本不良品をつくっただろうか?無惨にひび割れた製品の数々が今も目に浮かぶ。
自信のないまま納入したZ市の下水道、クレーム取替えの悪夢に数年悩まされたものだ。しかしなにもなかった。否、発覚しなかった!?幸運だった?
ところで、現在のケミカルプレストレス商品は何も問題はありません!念のため。


1999年08月24日(火)

お盆を信州で過ごした。
小高い丘の上にある両親の墓は、強い日差しを浴びながらも心地よい涼風を受けていた。毎年この時期にここを訪れる。
ついでにと思い、今年70才になる叔父を見舞う。6年前に肺ガンの手術を受けた叔父は、転移は避けられたものの、新たな小さな病巣の発見に神経質になっていると聞いていたからだ。2年ぶりに会う叔父はやせたようだが、顔に翳りはなかった。
ビールを呑みながら、日の丸や君が代の法制化に吼え、警察権力の巨大さを力説し、戦前帰りを憂えた。いま、戦後の冤罪事件に関する本をまとめて読んでいるのだという。
肺ガンの手術をしたあと、病気の専門書と宗教書をむさぼり読み、さらに何かの宗教に帰依したはずなのに。その時、見舞った私は、死に囚われた叔父に対し、私の語ることばの幼稚さが恥ずかしいだけだったが。
最近同い年の奥さんが次から次と病気をするのだそうだ。胃ガン、脊髄損傷、三叉神経炎などなど。子どもがいないから、買い物からお勝手、掃除まで叔父がやるらしい。二つほど入信した宗派も脱退し、本来の社会主義者に戻ってその方面の本に没頭しているようだ。幸い新たなガン細胞も小さいまま活発な動きはしてないらしい。
どうやら生活の忙しさが、病気への執着を断ってしまったようだ。
「死にゆく人への同情は生者の奢りである」、帰ってきて、読んだ新聞の随筆の中にこの言葉を見つけた。


1999年08月25日(水)

日本人は大人になったのだそうだ。
テレビに出た宮沢大蔵大臣が、金融規制の緩和、護送船団の解体の意義を質問されてこう答えていた。これから国民は大人にふさわしい自己責任をもたねばならない。国はいちいちめんどうは見ませんよ、ということらしい。大蔵官僚から政界入りし、戦後の50年間日本を見てきた知性の人が、政治の転換を国民の成熟に基づくものとした。
ある雑誌の広告に、「ほんとうの大人が減っている日本!」とあり、すぐ熱くなる、寛容さがない、自分主義、セコいなど並べていた。もちろん宮沢さんの話と次元は違う。さらに男と女を同列にしていいのかとも思う。
米国の夫は財布を自分で握っているそうだ。毎年の税務申告は個人ですることになっており、それは男の務めとなっているのが、家計を握る理由らしい。
翻って日本は、家庭の大蔵大臣はまだ圧倒的に奥さんではないだろうか。
一般に、男はケチといわれたり、お金に細かいと思われたくない。お金に無関心を装うことも多い。大様のフリをする。実際面倒くさいと思うひとも多い。
国際化とはアメリカナイズすることだとすれば、まず男は家計を管理するべきだ。
401Kの運用や年金問題、消費税から所得税まで真剣になること請合いだ。
セコい(?)男が増えたのは国際人が増えたということで、ふるーい大人が減っているということだ。上の話もつじつまが合う!
私の場合、もう絶望的に遅い。失った権利は妻から決して取り返せない!


1999年08月26日(木)

娘の友達のアメリカ娘が家に遊びにきた。
いま26歳のシアトルギャルで、英会話学校で教師をしている。日本に来てほんの一ヶ月にもならない。お茶を呑みながら、来月早々、娘と日光見物にでかけ、ついでに温泉にも寄る小旅行の相談をしていた。
聞くとはなしに聞いていると、どうも彼女は温泉に裸で入るのが抵抗あるようだ。
ジャグジーのように水着をつけれないか?という。露天風呂ならノゾキにそなえてのこともあるが、館内の風呂にはどうかな?と我々も迷ってしまった。
湯浴みする同性の中で、一人だけの水着は何かおかしい気がする。よく言われるようにヌーディストクラブで、服をまとった人にワイセツ(?)感があるというではないか!
かのポルノ大国アメリカは、人前で裸をさらすなぞなんとも思わぬ大らかな国と思っていたが、少し違うのかもしれない。ポルノの解禁度はビジネスと法律の妥協点であり、私生活の裸露出度は伝統と文化の束縛にある(らしい)。
どうもプライバシーの概念が日本人と少し違うような気がする。地方にまだ混浴の温泉があるといったら、日本人の文化度を疑われてしまいそうで、その言葉は飲み込んだ。厄介な比較文化論はともかく、彼女が温泉にどうチャレンジするか楽しみ(?)だ。 その結果はいずれまた!


1999年08月27日(金)

古くなった畳表を裏返して再使用する人は、いまもいるだろうか?
芯材が発砲スチロールの現代畳が増えて、そんな面倒なことをしないようだが。
むかしはそれが当たり前のことで、子供のころ見た職人さんの鮮やかな手さばきがいまも目の前に浮かぶ。
最近コンクリート製品の中に、裏返しと同じ発想のリバーシブル商品を見つけた。
そのひとつはプレキャスト舗装版で、特にトンネル内に使う。表面が磨り減ったら裏返すのだ。同様に擁壁商品もある。この場合汚れたら裏返すのかよくわからないが気持ちはわかる。いずれにしても商品の供用期間を延ばし、反転費用を考えてもトータルコストが安くなるということらしい。建設工事のコスト縮減のかけ声に端を発した、単純なイニシャルコスト削減の対抗手段として、寿命を考慮したコストパフォーマンスの提案は面白いと思う。
モノのない時代、モノの高かった時代の知恵をいま生かすということだろう。
風呂から出たとき、濡れたタオルでからだを拭いてから、バスタオルを使うのがオヤジの世代だそうだが、こうした節約の知恵はこの世代がいっぱい持っている。
ちなみにこの世代はベルトとバンドといい、ジッパーをチャックという。
さて、あなたは節約世代?


1999年08月30日(月)

そのメールは最初から挑戦的だった。
商品がよくわからないという。使い方(工法)もナンセンスだという。そんなもの輸入しなくても自分の国にあるという。箇条書きの内容がいずれも批判的なものだった。
私の勤務する会社で、あるコンクリート仕上げ用の商品をメインにしたホームページを開設している。ついでだからとその英語版も作成した。輸出する気などさらさらなく、これを通じて情報交換なぞできればと軽い気持ちだった。アクセスログ情報で見ると、これが意外にも、海外からのアクセスが日本より多いのだ。
殆どがカタログ、資料を送れで、こちらは胸を張って(!)日本語のそれを送り、写真やイラストで想像してくれと、およそ前時代的な対応をしている。中には感想や意見を伝えてくるヒマ(?)な外人さんもいるのだ。
その挑戦的だった人との幾度かのやりとりを経て、先方も日本語のカタログながら想像力豊かな人とみえて、理解し合えるのにそんなに時間はかからなかった。
熱烈な当社商品のファンになったその人は、いま自分が請け負っている寺院の柱にやろうという。私は臆病になって、小さいところから、それも試験施工という名目でなどと尻込みをしていた。最後のぎりぎりの返事を土日休まず(気持ちのみ)考え、日曜日の深夜OKのメールを送った。
その後すぐ、トルコ大地震の報を聞き、彼の住むイスタンブールの被災を知る。
彼からのメールはその後一度もない。


1999年08月31日(火)

その人は私のめぐりあった人の中でも図抜けた金持ちだった。
商売のスケールは数人の商店の域は出ないが、商品が効率よく回転し、手間もかからず、儲けの出るサイクルがこの40年近く続いてきた。銀行員あがりの彼は、余裕の資金を不動産とゴルフ会員券にまわし、気が付けば巨額の資産が出来上がっていたというわけだ。バブルの荒波も難なく乗り切った。平凡なサラリーマンの息子だった彼の成功は、戦後の高度成長の波にうまく乗ったということだが、彼の才覚と行動力には羨望よりむしろ畏敬の念を持つ。
そんな彼と5年ほど一緒に仕事をしたことがある。大胆な仕事ぶりと裏腹に、細やかでやさしい心遣いをする人だった。ある時、金持ちになって何が良かったか?と尋ねたことがある。
多分に拝金主義の非難めいたものと羨望が入り交じった複雑な問いだったろう。
「ボロを着てても平気になったことが一番かな」と意外な答えだった。ボロを着てても貧乏だからではなく、倹約か服装に気を遣わないからとしてくれるというのだ。「金は身を豊かにするのではなく、心の貧しさを取り去るものだ」とも。貧しいことが恥ずかしかった時代の彼らしい解答に納得がいった。
それから十数年、今70歳になる彼はガンの病床にある。商売の大要は息子に渡したが、実権はまだ彼にあるようだ。久し振りに会う私に、銀行はキャッシュフロー経営をしろというが、おれはやはり不動産がベースの資産経営だ!と意気盛んであった。


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