ノスキッド仕上げ研究会
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■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/07/26〜1999/07/30
1999年07月[ /26日 /27日 /28日 /29日 /30日 ]

1999年07月26日(月)

山陽新幹線のトンネルや橋脚でのコンクリート問題が毎日のごとく取り上げられている。
いろいろの原因や対策法がマスコミを通じて伝えられるが、どうも末節枝葉の現象論ばかりで、本質的な議論がないように思える。
小林一輔先生の高アルカリセメント説も、海砂説も、工事手抜き説もすべてコンクリート品質そのものへの疑問であり、この検照は避けて通れないだろう。
不良原因や品質の劣化程度の解明は、やる気にさえなればそんなに難しいとは思えないが、問題は将来の安全性である。
当局と関係者は、現状のコンクリート構造物の機能寿命を推定するための先端技術開発に人と金を大胆に投ずるのが筋だろう。


1999年07月27日(火)

コンクリートの寿命は人間と同じだ、とずっと思ってきた。少なくとも60年や70年はもつものと頭から信じてきた。業界人のはしくれの私でさえそうなのだから、普通のひとが、半永久に壊れないような錯覚を持ったとしても不思議はない。
古くなったビルや構造物がスクラップアンドビルトされるときは、機能やデザインの陳腐化によることがほとんどだ。
いま一連のコンクリート騒動は、本当にコンクリートの寿命の話のようだ。コンクリートの劣化には多くの要因があり、中性化についてはかなり寿命予測ができるようになったと聞くが、塩害、凍害、アルカリ骨材反応については予測にかなり難しい問題を抱えているようだ。
いずれにしても、最近の飽食時代に育った若者たちの方が、飢餓世代より短命であるとの風説に、優れた混和剤(材)を使用しているはずの現在のコンクリートの方が、寿命が短いという予測が奇妙に一致する。人間ドックならぬこんくりドックが必要か?


1999年07月28日(水)

技術分権による新商品の市場拡大が増えてきている。
各県に数社限定し、工業所有権や販売権をライセンスしようとするものだ。
工業会や研究会の名で統一的パブリシティを推進する。 コンクリート製品は官需が主軸で、役所は特定の企業や製品に限定されることを嫌うため、こうしたグルーピングは非排他性を訴える方便として重宝されてきた。
JIS製品などの規格品では稼げなくなった昨今、各社はオリジナル商品で活路を開いていくしかない。権利提供サイドはてっとり早くライセンス料で稼げるし、受ける側も開発研究の要なく安価に権利を得られるというわけだ。
有力な大型商品をもって全国展開を図っている大手に抗していくには、中小メーカーの生き残り策として有効ではあろう。
地元の建設会社に密着したコンビニ型のコンクリート製品メーカーにとって、商品の品揃えは不可欠である。すべて自前でそろえることは難しいとしても、自社技術のない会社に良い技術は来ない。
だから今こそ技術力を高めるべきなのだが..........


1999年07月29日(木)

先日テレビに出た中曽根元首相が、宰相の条件は、目測力、結合力、説得力の三つだと語っていた。
真空総理と呼んだ小渕現首相は、目測力、結合力は抜群だが説得力はいまひとつなのだそうだ。

私の勝手な解釈を披瀝したい。
目測力というのは、先見力と理解するより、すこし先を見る、人より半歩先が見える程度と考えた方がいい。理想とか未来像とか遠い将来は見えない方がいいのかも。
結合力は門閥、閨閥、派閥など非合理的な集合力であろう。政策、思想で集まるなど不安定の極致。
説得力とは、利害関係の明確化に尽きるのではないか。プラスマイナス、メリットデメリットをはかりにかけ、聞く人を常にプラスサイドに置く技術力の問題なのだ。
確かにこう考えればこの三つは日本の宰相になる条件に違いない。

翻って企業経営を見れば、社長になるにはやはりこの三つの条件が必要か!
理想を持ち、先見力に磨きをかけ、公平無私な人事をし、常にアカウンタビリティに追いかけられる企業トップなんて大人の童話?
中曽根さんは、日本のリーダーとは所詮この程度のものだという痛烈な皮肉をいっていたのではなかったか?


1999年07月30日(金)

アメリカの航空業界で、行過ぎた規制緩和、自由競争が問題になっているそうだ。
規制緩和された業界は、激烈な企業間の競争の結果、めぼしい路線は主要三社にほぼ集約されているらしい。運賃も値引き競争の末、安くなった路線が多いとか。
ところがニューヨークからシカゴまでの運賃は6万円を超え、ロスまでの3万円台の運賃にくらべてバカ高いらしい。
これは安値競争で勝ち残った1社が、損を取り返すべく運賃を大幅に上げた結果とのこと。これに対し司法省も腹にすえかねて訴訟を起こした。
このことは規制緩和、自由競争、リスク個人負担を標榜する最近の日本の政策に異を唱える人たちに、根拠をあたえる格好の事例となるにちがいない。行過ぎはよくない、適度な自由競争がいい、という識者は多い。
中道、中立、中庸という言葉に、なんとなく公平感や安心感をもってしまうのも日本人だ。
平衡感覚は大事だと思うが、荒々しい国際化の波の中で均衡をとるのはなかなか難しい。
いま声の大きい、断定的な物の言いようをするタレントや政治家が好まれるのは、我々の心の奥にある中道主義に対する欲求不満のせいなのではないのか?
「自由競争は社会の倫理秩序が確立している時のみ許される」とアダムスミスがいった、と今日の朝日新聞の投稿記事にあり、ひじょうに得心した。


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